A Golden Bearの足跡


UC Berkeley Haas School (MBA) における、2年間の学生生活の記録です。
by golden_bear
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カテゴリ:IBD(ザンビアプロジェクト)( 16 )

IBD体験記(16:完) 携行品とおみやげリスト

ついに本ブログにおけるザンビアのIBD体験記も最終回を迎えました。IBDのカテゴリーをクリックしたときに、この記事が一番最初目に入ることを考慮し、最後に実用的な内容を持ってきました。ザンビアに限らず、IBDや旅行で開発途上国に行くときに、物理的に何を持っていき、何を持って帰るべきか、という話を、私の事例を基に反芻してみます。

携行品について

毎年やってる授業なので、ある程度ガイドやマニュアルのようなものが配られるのか、と思いきや、予防接種(「ザンビア行きに必要な予防接種とは:IBD体験記(2)」に記載)以外は、全くなし。「特にビザに関しては、去年同じ国に行ったチームに聞いておくと良い」、と言われるだけで、ここから自分達で考えろ、というスタンスでした。今思うと、このオーガナイズされなさっぷりがバークレーっぽい、という側面もありますが、確かに毎年行く国やプロジェクトが全く違う中で、下手に「これ持っていけば大丈夫」と言って、大丈夫でなかった場合に訴えられるリスクがあることを考えれば、教授/大学側の対応としては妥当な気もします。

で、我々のチームが取った策は、下記2つ
(1) Google Docsの活用: マネージャー役を買って出てくれた中国人が、まず自分が持っていくもの、全員に持ってきてほしいものを、Google Docs上に書き並べていきました。他のメンバーは、それを見ながら修正したり、交渉したりしながら埋めていきました。
(2) 去年のメンバーに聞く: 直前に昨年ザンビアに行ったメンバーに「どんなガイドブックが良いか」など、色々と聞き込みました。しかし、時期的には卒業式直後で皆旅行等でいなかったため、これは早めにやったほうが良かったです。

下記に、今Google Docsに残っていたものを、そのまま、担当のみ日本語にして、書き並べてみます。
1 Print VISA and bring VISA fees 全員
2 Voice Recorder メンバー1
3 4 copies of passports 全員
4 Kids Wipes 全員
5 Deet min 35% - Ultrathon 全員
6 Iodine/Chlorine Water Purification Pills メンバー2
7 Electrolyte powder - anti-diorrheal mix メンバー2
8 Print Insurance Info 全員
9 Vaccination Card 全員
10 Camera and charger 全員
11 Power converter pin 全員、メンバー3は12VDCも
12 LED Light メンバー1とメンバー3
13 Business cards 全員
14 Ibuprofen 全員
15 Tylenol 全員
16 Imodium - diarreah 全員
17 Pepto Bismol 全員
18 Take malaria pill in London Airport 全員
19 Back-up your laptops 全員
20 Ipod 全員
21 Buy a big map of Zambia when in Lusaka 全員
22 Swiss knife メンバー1
23 Print papers メンバ―3
24 Cash US$ 600 -> 300 for USD, 300 for Zambian currency 全員

やはり薬系が多いのですが、Deet min 35%(虫よけスプレー)とかLED Lightとかは、普通の薬局では売っておらず、キャンプ/アウトドア用品の専門店で買うことになります。が、最初どこに行けばよいのか全く分からず。日本なら東急ハンズにでも行けば手に入るのですが、そんな便利なものアメリカにはない。とりあえずYelpやYellow Pageで調べるのですが、実際車で行ってみると寝袋とテントだけの専門店だったりとかで、全然ヒットしない。やっとのことで見つけた、何でもそろう店は、バークレー周辺では下記でした。

REI
1338 San Pablo Ave., Berkeley, CA, United States

こうして、チームで何を持ってくるか、というところは共有したのですが、みんな家族がいるメンバーでしたので、奥様がそれぞれ気を使って個人装備としてさらにいろいろ持たせていました。例えば、中国人のメンバーは、カップラーメンと缶詰、漢方薬、蚊取りマットを持ってきていたし、インド人のメンバーは子供と毎日SkypeするためにWebカメラ、パキスタン人は、イスラム教徒向けの装備や食べ物と、トランプなどのゲーム類を持っていました。私が妻と相談して持って行ったものと、その顛末は、下記です。

- 蚊取り線香: 妻の母に日本から取り寄せてもらいました。(日本でも今時手に入りにくかったとか)。これ、結構効果もあり、特に夜に電気が使えない所では、とても重宝し、チームメンバーにとても喜ばれました。
- 蚊帳: 上記のREIで一番安いネットを$20で購入。実際にはホテルやロッジに備え付けのところも多く、また都市部では無くても問題ありませんでした。が、あっても良いかもです
- 非常食: 缶詰とキットカットなどを持っていきました。予想外にザンビアの食事はどこも美味だったので、あまり使う機会もなく。しかし、サファリに行ったとき、「食料は全て捨てておくこと:野生動物があなたのテントを襲いに来ます」、との注意書きがあったため、その日のうちに全部食べ切ることになりました。
- 水: 2lのペットボトルを2つほど。飛行機に長時間乗りましたが、割れずに済みました。2日目に水は買い込んだため、初日には重宝しました。

このほか、ザンビア向けの電源プラグ変換機は、日本でもアメリカでも買えなかったので、途中ロンドンの空港で買いました。Fujifilm製が大々的に売っていて、びっくりしました。

1つだけ、持っていかなかったもので後悔しているのが、一眼レフカメラ。アフリカのサファリになんて持って行ってぶっ壊れたらやだなあ、と思い、今回は安物のコンパクトデジカメを持って行ったのですが、よく考えてカメラがそんなに簡単に壊れるわけもなく、一生に一度の美しい景色がたくさん見られたこともあり、絶対に一眼レフにしておくべきでした。

お土産について

ザンビアで土産を買うとすると、(1)ビクトリアの滝があるリビングストーンやサファリなどの観光地の土産物屋、(2)ショッピングモール、(3)空港、の3つくらいです。おすすめは、(1)と(2)なのですが、その理由は、(3)の空港だと、あまり店がそろっていないこと、高いこと、および、荷物に入れるタイミングがなく途中経由地の空港でめんどくさいことがおこることです。具体的には、下記4つの写真が、ザンビアの首都ルサカにあるルサカ空港の土産物屋の様子です。
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ここで、私は、試飲して気に入った"AFRIKOKO"という、ザンビア産のココナッツミルクのお酒(カルーア・ミルクの原液に近い)を買って、下記のように手荷物に入れていました。一応、売店のおばちゃんには、「こんなものを手荷物で持って大丈夫か」と聞いたら、「全然大丈夫だよ」、と言っていた。これはもちろん愚問で、大丈夫でないものを売るわけはないし、仮に世界のどこかでだめでも、そんな情報このおばちゃんには伝わるわけがない。まあ何かあったらその場で捨てればいいか、と思い、下記のように鞄に入れて乗り込みます。
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南アフリカの空港では、全然検問にも引っかからず、素通りできました。ところが予想通り、ロンドンのヒースロー空港では、「手荷物で液体を持ち込み禁止」と言われ、引っかかってしまう。そこで、「お前のパスポートは、日本のものだから、ビザなしで空港に出れる。だから、一度外に出て、この瓶を荷物として追加で預けて、また入れば大丈夫」と言われました。この時も、日本人で良かったと思う瞬間でした。

VirginからUnitedの乗継でもあり、乗継時間が3時間しかなかったので、大丈夫かとも思いつつ、とりあえずやるだけやってみる。上記のバッグに靴下とかありったけのクッションになりそうなものを入れ込み、お酒の瓶をガードする。元から入っていたPCなどは、クレジットカードが使える売店をやっとのことで探し出し、水と雑誌を買って、もらったビニール袋の中に移し替える。こうして一度空港の外に出て、Unitedのチェックインカウンターで何事もなかったように「この荷物もお願いします」と頼んだら、大丈夫でした。最後、サンフランシスコの空港におりついた時、割れてない状態でAFRIKOKOが届いていたときには、感動しました。この税関も、問題なく通過できました。

他にお土産として持って帰ってきたものの写真です。
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図の左上は、子供向けの身長計で、キリンをはじめ動物の絵が描かれています。左下のCDの隣には、子供向けの絵本。ザンビアにいるときに友人に赤ちゃんが生まれたと知り、お土産にしました。中央下段はザンビア特産のコーヒー。インタビュー中にもらったものです。右上はクライアントさんが手作りして売ってた商品を買ったもの。右下の各種置物はビクトリアの滝でさんざん交渉していっぱいおまけしてもらったものです。

特にお気に入りは、下記です。
- 2枚のCD。リズム感が良く、ザンビアを思い出すことはもちろん、普通に聴いても良いです。
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- 栓抜き。木にボルトを刺しただけですが、ビールくらいは開けられます。
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- ゾウのフンから作った紙による、サファリの動物図鑑
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これにて、ザンビア編は完結となります。書き終えた印象としてはまず、当たり前ですが、「MBA学生と社会人とでは、時間の進み方がその方向を含めて全然違う」、と改めて実感しています。まだIBDに関して書ききれていなかった分の連載を「IBD体験記(8) プロジェクト(1)ザンビアの有機綿花産業」から始めようと決めたのが、2010年6月下旬。したがって、既にネタがある記事を高々9つ書くために、5か月以上の時間がかかったことになります。MBA中も色々と忙しかったとはいえ、ネタを考えながら月平均7-8本書いていたことを考えれば、社会人になって執筆活動の時間的余裕が、5分の1以下に減ったことになります。

また、そもそもザンビアプロジェクト後にすぐ書けなかった理由が、直後にインターンが始まって仕事で余裕がなかったこと。さらに、その後2年生になると新しく書きたいことが毎日のように降ってきたからでもあります。一方、社会人に戻ると、毎日面白い事象が自分に降りかかってくるという意味ではMBA時代と変わらないのですが、その内容は仮に公にできたとしてもしたくない類のものがほとんどです。もう記憶からやや薄れかかっているこのザンビアの状況を、写真を見ながら思い出すたびに、MBAの「非日常」な2年間で、仕事をしている間には絶対に得られなかった思考回路や感情の、引き出しの数と奥行きを得ていたのだ、と改めて思うのです。

ブログ全体としては、あと2つアップすることで、完結となります。できれば2010年内に完結できるように、頑張ってみます。
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by golden_bear | 2010-12-05 01:37 | IBD(ザンビアプロジェクト)

ザンビア人の生活とカルチャーショック - IBD体験記(15)

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前回載せ忘れた、ザンビアと日本との関係を表す看板の写真を1枚入れさせていただきました。今回は、ザンビアの人の生活状況について、現場で初めて見たことや驚いたことを中心に、社会インフラ(スペック/運用)、生活、教育、文化の順で、箇条書きの形で書き並べて見ました。基本情報として、人口1,300万人弱、ざっくりそのうち8割強が農民、1割強が銅、ニッケル、コバルトといった鉱物資源関係の労働者、残りを公務員や携帯電話含むインフラ、首都や観光地のサービス業といった業種で占めている国です。このうち、鉱物資源関係以外の人々を除いて、30本近いインタビューと3週間の日々の生活の中で、私が見聞きした内容と印象を、記憶を元に書いたものです。細かい点に関しては事実とは異なる可能性もあることを予めご了承ください。

社会インフラ(スペック面)
長いこと植民地だったこともあり、政府や行政が全てイギリス式そのままだそうなので、社会インフラは全てイギリスそのもの、と思っておけば間違いなさそうです(インド・ケニア・南アといった元イギリス植民地に準拠しているものも含む)。都市部では、電気では電源プラグの形は電圧やロンドンと全く変わらないし、車道も右ハンドル左側通行。実際に、都市部の中級ホテルに泊まる分には、食事の質含めてイギリスの中級ホテルの生活と大差なかった気がします。

ちょっと違うのが、電話網。アフリカでは固定電話ではなく携帯の方が普及している、と行く前からよく耳にしていたのですが、実際にその通りでした。固定網は貧弱で、中級ロッジでは、固定電話がそもそも受付以外に無かったり、そこから電話しても国際電話はおろか市外通話も出来ないくらい。一方、携帯電話は車が通る主要道路沿いでありさえすれば、基本的に田舎だろうがどこでも通じる。なお、携帯キャリアとしてはZainというインドの大手Bharti Airtels傘下で中東とアフリカで広くビジネスを展開している所が、ほぼ独占しているようなのですが、都市部では他の業者も2-3見かけました。

インターネットも首都では固定回線ではなくWifiのみが使えるところは、ロッジは勿論、空港やレストランなど結構あります。通信速度も普通のWebページを見る分にはさくさく動いて問題ない。しかし、Skypeが使えなかったり、動画が全く起動しなかったりすることから、スピードは先進国並み(ユーザーに近い部分で使っているルーターなどの機器自体は先進国と変わらない)だが、バックボーンの回線容量が全く追いついていない、という印象です。田舎に行くと金持ちが固定電話のサービスで繋げていたが、ダイアルアップっぽい遅さでした。

銀行はローカルの銀行以外にバークレイズ銀行が入っていて、両替はドルやユーロ、ポンドと現地通貨とでいつでも可能です。利率は、私が見たときには普通預金の利子2%、借りる時は38%と闇金並。話によると、38%でも貸してくれることはほとんどないし、貸したら帰ってくることもほとんどない、のだそうです。

スーパーは、ケニアや南ア資本で富裕層向けには下記のようなものがモールでそろっています。
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こんな感じで、少なくとも冬は気候が良く水も豊富なザンビアでは、表面的には本当にイギリスと大差ない生活が送れます。例えば、ザンビアに駐在しているパキスタン人の友人宅にお邪魔すると、まるで大使館のように厳重な鉄条網と壁の中にて、プールやレクリエーション施設完備の豪華な1戸建てのお屋敷群に住んでいました。
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この、元宗主国の言語はもちろん、インフラや社会システムをそのまま使う、という傾向は、ザンビアだけでなくすべてのアフリカ諸国であるようです。このことからは、最近流行の水ビジネス国際展開において、欧州の元国営のような企業が非常に強い/日本が現状弱い理由の一端を、垣間見ることができます。

社会インフラ(運用面)
一方、イギリス式をそのまま持ち込んで、現地の人に運用させても、100%のサービスの質が発揮されるわけではないことも実感。ガスや水道、風呂、トイレも、私が宿泊した1泊$30程度の中級ロッジでは普通に使えるのですが、
○2日に1度くらい、シャワーの水は出るがお湯が出ない
○3日に1度くらい、夕方頃2-3時間の停電があり、インターネットが使えない(携帯電話が使えないことはあまりなかった)
このようなインフラの質はともかく、働いている人々が上から言われた通りやっているだけで、考えてないような印象があります。例えば、
○政府がかける税金の税率も、全くイギリスと一緒で、例えば所得税に40%: そんなに税金とって何に使うんだろう、という声はよく耳にする
○スーパーの価格表。下記のように、サイズとパッケージと価格に全く一貫性がない
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極めつけは、あるリゾートホテルでのランチ。
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友人が$7のハンバーガー、私が$9のチーズバーガーを頼む。そこから待っても待っても食事が出てこない。待つことなんと90分、、これがハンバーガーだ、と言われて出てきたもの。
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普通にチーズが入ったハンバーガーでおいしそう。私が頼んだチーズバーガーには、さぞやチーズが一杯入っているのか、と想像していて出てきたものを見ると、なんとチーズの量はそのままで、肉が入っていない。すなわち、ハンバーガーから肉だけを取ったものがチーズバーガーで、しかもハンバーガーより$2割高なのです。「そんなわけないだろう、料理か、価格かのどちらかがおかしい」とコックに言っても、「いや、これがチーズバーガーで、この値段だと言われた」、と言われるだけで、埒があかないのであきらめました。

こういうことが起こるたびに、いつもインド人やパキスタン人(ザンビア人同様に英国が元宗主国)のチームメートが、半分笑って半分本気で、「現場のことは、欧米が押し付けずに現場のやり方に任せたほうが一番良い」と、3週間で5-6回は言っていたことが、とても印象に残っています。

生活編
ザンビアでは、国連や外務省のページを見ると、「平均日収が$1に満たない、世界最貧国の1つ」といった表現がなされている。さぞかし貧しい生活なんだろう、と思い、実際都市部のスラムのようなところでは下記の写真のような光景も一杯見られます。
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が、農村部まで行くと、人々の顔は一見皆明るく、全然貧しそうには見えないです。(ちなみに、ちょっと郊外に行くと、道端で何十キロもありそうな道を歩いている人がうじゃうじゃいて、一日の生活の大半が徒歩移動なんだろう。それでいて社会が回ることから、ふつうなかなか定義できない「国の生産性」の低さが目に見えました。)
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そこで、この平均日収$1を、もう一段ブレークダウンしてみます。ざっくり、推定日収$2、$1、$0.5の3種類の農民の生活があるとして、勝手なステレオタイプを私の妄想で描写してみると、この3つの中で相当な貧富の差があります。

○ 平均日収$2: 夫婦ともに働き者。家は土嚢で固められた壁に木かプレハブの屋根がある丈夫な作りで、テレビや携帯電話など大抵のインフラはそろう。子供が全員普通の服を着て学校に通う。水の豊富な土地で手入れされた畑を持っていて、野菜など手がかかるが売値が高い作物を工夫して作っている。

○ 平均日収$1: 旦那はすでに他界したか蒸発したかでいないため、女手一つで8人の子供を育てながら、農作物を育てる。母親は朝4時に起床、深夜12時に眠るまで、育児、炊事選択、農作業に追われ続ける。8人の子供のうち2-3人は学校に通うことができるが、残りは学校に行けず小さいころから農作業を行うのみ。家は藁葺屋根。まじめに働いてテレビを買うことが夢。

○ 平均日収$0.5:  女1人で足をけがしており、満足に歩くことはできない。旦那も子供もいない。裕福な家の軒下に住み、脱穀など座っててもできる農作業をして食いつないでいる。あるいは、このレベルになると、以前書いたSnarewearプロジェクトの前提のように、野生動物を狩って食いつなぐが、その確率は低いので、ますます貧困になる悪循環。

共通しているのは、女性は皆とても勤勉で何についてもテキパキと働いている一方で、男性は全く何もしないこと。ザンビア農村男性の典型的な一日は、朝起きたら酒を飲み、昼にバーに集まり酒を飲み、夜に家に帰って子作りをしてまた酒を飲み、寝る、というものらしい。ちなみに、このとき良く飲まれるお酒は、Mosiというブランドのザンビア産ビールと、Shake Shakeと呼ばれる、地元のMaize(トウモロコシ粉)を発行させて作った体に悪そうなお酒(写真はチームメイトでザンビア人ではない)。
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なんで女性ばかり働き男性は酒を飲むだけなのか、という理由の1つが、一夫多妻制。農村だと、1人の男性が4人くらいの妻を持つのが普通らしく、労働力だからか宗教上の理由だからか病気が多いからなのか、とにかく子供を産むことが奨励される。1人の女性は一生に8人くらい子供を産むことが良い、とされているらしく、子供の数が6人に満たないとダメな女性、という烙印を押されてしまうのだとか。つまり、1人の男性は4人の妻と合計32人の子供を産まなければ一家の長になれず、妻からは常にそのプレッシャーがかかるそうなので、男性は人生の中心を子供づくりに置かざるを得ない社会構造(したがってエイズが蔓延しやすい)かもしれない。一方、そもそも男が余って結婚できなければ、飲んだくれるしかないのかもしれない。また、旦那が奥さんと一緒にいる確率が1/4だとすると、珍しく勤勉な男性がいる家は、とても裕福になるのでしょう。

ちなみに、都市部では都市化が進んでいることもあるのか給料が少ないのか、一夫多妻制とはいえ、「2人以上の妻を持つなんてマネージするのが大変だ」という男のほうが多いらしいです。

教育編
上でも学校に行けない子供の話を書きましたが、ザンビアで一番問題とされることが多いのが、この教育。まず、大学が国全体で3つしかなく、うち鉱山の近くにある工科大を除いた2つの総合大学では、多くの人が弁護士と医者、官僚を目指す。この3つの職種すら人が足りておらず、こんな状況で自国の産業を自国で育てることなどままならないのだそうです。また、初等教育では、服と教科書を買うお金を出せずに、子供を小学校に入れることができない家庭が大きな比率を占めるのだそうです。

したがって、実質的な教育あるいは仕事に就くために必要なスキルの訓練は、外資系企業が社内でトレーニングを行うか、国連やNGO/NPOや教会などがプロジェクトで鍛えるなど、外国人が実現している状況。しかし、この取り組みの恩恵にあずかれる機会はわずかな上、全体の教育レベルが低いと、いくらその時外国人が教育しても、居なくなったら終わり、という形で継続しないのだそうです。

文化編
今までの話を無理やり一言でつなげると、「インフラは整っているけれども、運用する人の価値観や考え方は欧米人と違い、その内側には格差もあり、教育が整っていないこともあり抜け出すきっかけがつかめない」、となります。当たらずとも遠からずですが、本質的にはそうでもない気がする。というわけで、最後に、ザンビア人が何を将来や希望に見ているか、文化、というくくりで話してみます。

教育は無くても、テレビがある程度普及していて、皆アフリカ&中東版のBBCを見れる/口伝えに聞く環境は、国全体でそろっているのだそうです。したがって、欧州とアフリカ、米国と中東の間で何が起きているか、については、自動車の運転手程度の人でも相当詳しく知っていました。

こういう情報がそろっていると、国全体でまずは南アフリカみたいになりたい、と思うのだそうです。南アフリカ人はとても裕福で、ファッションや音楽・ダンスは皆南アフリカの流行を真似するし、メジャーデビュー=南アフリカを目指すことだそうです。ちなみに、CD屋に行くと、日本であれば「ワールド・ミュージック」の棚に置かれてあるような黒人アーティストがずらり。うち、7-8割くらいが南アフリカのアーティストで、次にザンビア人、たまにケニア人やジンバブエ人などが混ざるそうです。あと、ボブ・マーリーはここでも別格で神様のような扱いになっていて、2日に1度くらいは彼の曲をどこかで聞いていた気がします。
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一方で、南アフリカは非常に問題がある国だ、とも思っているようです。「ジンバブエもそうだが、黒人が政権を取ってから国の治安が全く守られなくなり、貧富の差が広がり、ひどい状況だ。ああはなってはいけない」、ということは明確に認識し、反面教師にもしているそうです。したがって、黒人が白人より上に立つ、のではなく、何とか白人と調和してうまいシステムで平和に国が運営できると良い、というのが、国民の基本的な考え方なのだそうです。この点に関しては、今のところうまく回しているように見えました。

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こうして、そもそも聞いたことも見たこともない状況、またその大変な状況を抱える中でも前向きに素晴らしい環境を模索する人々を見ると、自分は何が好きか/嫌いか、長期的に何を求めて生きていくべきか、という価値観の根本が大きく変わった気がしています。また、農民のほとんどが1日に数十キロも徒歩で移動しているような状況の国に比べても、日本の成長率は長期にわたって全然低い。いったい日本は何をやっているのだろうか、私は一日本人として何ができるのか、と強く考えるきっかけにもなった、このザンビアの生活体験でした。
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by golden_bear | 2010-11-23 18:04 | IBD(ザンビアプロジェクト)

ザンビアと日本 - IBD体験記(14)

活動メモ(1) 5/22(金)出発-5/24(日)入国 - IBD体験記(5)の回で述べたように、中国、インド、パキスタン人が事前に発行したビザのコピーを持っていても全く入国できなかったにもかかわらず、日本のパスポートでは何の問題も無くその場でビザが発行され入国が許可された、というところから始まったこのプロジェクト。ザンビア滞在の23日間では、「こんなところにも日本が!」、「日本人で良かった!」と思う瞬間に、2日に1度は遭遇していた気がします。そこで、ザンビアで感じた日本について、大体時系列に沿ってざっくばらんに述べてみます。

○ 自動車
まず、空港を下りると目の前に青色のタクシーが数十台並んでいるのですが、そのほとんどがトヨタのカローラでした。そのタクシーに乗って首都に向かうと、すれ違う車の8割から9割は、日産、ホンダ、マツダ、三菱といった日本車が走っているイメージです。そして、そのままショッピングモールの駐車場に到着すると、外国人滞在者など比較的裕福な人が集まるところではあるのですが、下記のようなステッカーがついているではありませんか。
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見にくいですが、「中尊寺」が貼られたままになっています。翌日、宿にやってきたトラックは、三菱ふそうのものでしたが、上に商店の看板がついたままです。
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下記は昼にショッピングセンターの前まで歩くと、交差点で渋滞している隙に撮った写真です。このように車が停まると物を売られるのは、発展途上国っぽい光景ではありますが、この写真の車も形やエンブレムでBMWやVWと判るもの以外は、ほとんど日本車になっています。ちなみに、上が白、下が青のワゴン車は、乗合バスなのですが、これもトヨタ製か日産製です。
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その後、首都ルサカ周辺で契約した運転手つきの車も、カローラでした。IBD体験記(9) プロジェクト(1)の写真の回で述べたように、この車が初日にいきなりパンクをして、タイヤ交換をしたのですが、
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その時にも例によって「萩原神社」のステッカーが貼られていました。
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このほかにも、サファリのあるMfuweに言った際に乗ったピックアップトラックも、ある東北地方の建設会社が平成19年に実施した車検証が入ったままの寒冷地仕様の車でした。

なんでザンビアで日本車、それも、どうみてもほとんど廃車になっている日本車が流行っているのかは、日本や英国と同様にザンビアが右ハンドルの国であることがあると思います。が、現地の運転手によると「日本車の品質が高い」、そして、「自分の手で部品の交換が行いやすい」からなのだそうです。もちろん、ザンビアにもトヨタやホンダ、BMWやダイムラーの看板を掲げた、正規(?)ディーラーと思われる店はあるのですが、これらの店で修理やメンテナンスを行うのは高いらしく、大抵の場合は自分でやるとのこと。その時、トヨタの車だととても組み付けが行いやすいのだそうです。

うーむ。トヨタ生産方式では製造コスト(時間)低減と品質向上を両立するために、ラインで間違えなく安全に組み立てられるような工程の単純化は勿論、部品の設計にまで製造側の考え方をフィードバックして改善を繰り返しているのは、世に多数出ているトヨタ本で述べられていることなのですが、その取り組みの成果がこんな形でアフリカ人に受けていることには驚きました。ちなみに、「日産もホンダもトヨタと大して変わらないので、やりやすい。三菱は日本車じゃないから、品質も悪いしメンテもしにくいよ」、とおっしゃっておりました。。。

○ ザンビア在住パキスタン人のオフィスにでっかく張ってあったポスター
ザンビア人とは関係ありませんが、どういう意図なのかさっぱりわかりませんが、「アメリカ人の世界」という紙がA3サイズに打ち出されていました。これによると、日本は"Radioactive Area"(放射能汚染地域)だそうです。。。
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道路
主要な幹線道路を走っていると、「この道は日本政府とのプロジェクトで作られました」、「ありがとう、大成建設&清水建設」、という看板が目に付きます。この話を、クライアントのオフィスの人にすると、こんな議論になりました。

「日本人の建設会社が、素晴らしい道を作ってくれたことには、とても感謝している。以前に比べると、幹線道路3本に関しては、非常に快適にドライブができるようになった。しかし、問題は、このプロジェクトでザンビアの国内に何も技術が残らなかったこと。日本政府と建設会社が、設計者とエンジニアを数十人派遣し、ここでの経験と知見を他のアフリカ諸国に持っていった。一方で、ザンビア人を労働者として雇って作ったみたいだけど、雇われたザンビア人は指示通り動いただけで、何も学んでいない。これでは、これ以上自力でよい道を作ることも、今ある道のメンテナンスすらもできない。こういう意味で、道が綺麗になったことには感謝しているけど、もう少し他に方法があったんじゃないか、とも思うよ」

実際、ビクトリアの滝に向かう8時間のドライブで、最初6時間は舗装道路だったけど、最後の2時間分は舗装されていないことが、上記の話の象徴的な部分だったように思います。

○ 在ザンビア日本国領事館
こちらへプロジェクトの情報収集をしたときに、色々話を聞きました。ここに書いて意味がありそうなこととしては
● ザンビアにいる日本人は全部で200人。うち、4割くらいがJICA(注1)の方々で、他には商社やインフラ関係の方々がいらっしゃることが多い
● 日本料理屋はない。韓国料理屋は数件、中国料理屋はいっぱいある。日本料理や食材がほしいときには、ケニアから運んでもらうことになる

○ ザンビア政府(農業省)
訪問したときに、日本国政府が支援しているニュース
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JICAの人が活動しているニュースが、建物内の掲示板に張られていました。
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このように、他国の政府の記事や写真が掲示板に貼られているのは、日本のものだけでした。一緒に訪問したチームメンバーとも、「こうやって国際貢献して、額面どおりそのまま喜ばれる国って、日本くらいかもしれないなあ」という話になりました。たしかに、元宗主国のイギリスや、ザンビア国内でドルが結構使える状況にある米国などが、実際には直接、間接に様々な貢献を行っているのでしょうが、西側諸国は「ボス」であり、全く西側でない日本が支援するからこそ、このような受け止められ方になるのかもしれません。

○ 家電
日本でもかつてコンビニとしてかつて良く看板を見かけた「SPAR」が、欧州資本だけあってザンビア内でもおそらくトップシェアなんだろうな、という感じで、いっぱい店を出しています。そのSPARのチラシ(外国人富裕層向け)を見る機会がありました。
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さすがに1ページ目の食料品や消費財には日本ブランドが入り込む余地は無いのですが、2ページ目からは、左上にKenwood製のなぜかキッチン家電
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3ページ目には日本ブランドは全然目に留まらず、
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4ページ目にようやく、パイオニアやソニーのミニコンポ、キャノンのプリンター、ニコンの1眼レフ、東芝のラップトップとデスクトップPCが出てきました。
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これらを見て、「当然家電などインフラが同じ設計になっている欧州勢の市場の中で、サムソンとLGは強いなあ」、ということと、「日本ブランドの強さは、家電よりも自動車の印象が圧倒的に大きい」、という感想でした。

○ たくましい日本人(1)
前回の記事でサファリの動物の写真を一杯載せましたが、そこで宿泊した"Flatdogs"という宿で、なんとアフリカを1人旅している日本人女性の方にすれ違いました。1-2分しか話す時間が無かったので、詳しい話は聞けなかったのですが、なんでも1-2ヶ月かけてバックパッカーのようにアフリカを東西南北10数カ国旅して周っている最中だそうです。年齢的には20代のように見えたので、就職前の卒業旅行だったのかもしれませんが、日本人1人でもこういう旅行を計画できるのだなあ、と驚きました。

○ たくましい日本人(2)
最後に、IBD体験記(9) プロジェクト(1)の写真の記事中段で頭出しをした、夜にウガンダに国際電話をかけた話です。この時電話をさせていただいた方は、柏田 雄一氏。「ウガンダの父」と呼ばれる日本人の方です。

「ウガンダ 柏田」でGoogle検索すると、ここ(Smileyearth)とか、ここ(JBIC)、あるいはここ(NHKアーカイブス)とかでも幾らでも紹介されており、この人の伝記も出版されていて書店で買うことができます。

出発直前に本来クライアント側がアレンジするはずのインタビュー先を全てこちらでアレンジしなければならなくなったのですが、そのときにそういえば岩波新書の「アフリカ・レポート」の中で、アフリカでTシャツを作っている人の話を読んだなあ、ということを、思い出したのがきっかけでした。この柏田さんにインタビューして意見を伺うことが、プロジェクト・レポート内で「ウガンダでのオーガニックコットンの事例」として、ザンビアと比較して紹介できる、と思い立ち、日本国大使館に行って、電話インタビューのアポ取りをお願いしたのでした。

大変お忙しい中、2回に分けて合計2時間以上、電話で様々な話を伺いました。もちろん目的は私のザンビアプロジェクトに対する意味合いをいただくことだったのですが、本やネットで事前に予習した通りの1960年代に初めてウガンダで事業を開始して下地を作った話、1980年代に内戦で一旦工場を閉めて撤退しなければならなかった話、90年代を経て2000年代に入り再度オーガニックコットンでウガンダでの事業を再開した話。これら柏田さんが50年間何を見てどう判断してきたか、という経験を踏まえて、もちろん一般論としてではありますが、ザンビアプロジェクトに対する実践的な素晴らしいアドバイスをいただけました。そして、それ以上に、人としての学び: 事業を起こして成長・継続させるリーダーとはどうあるべきか、どういう環境を選び取ってどのように生きていくか、という、まさにMBAで学ぶべき最も重要な項目に関して、非常に大きな示唆を頂くことになりました。

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全体を通した印象ですが、ザンビアでは少なくとも煙たがられている中国人などに比べれば想像以上に日本の地位が高く、一時期流行した「ソフト・パワー」の面で日本は既にかなり成功してきているんじゃないか、という印象を持っています。まずはこの点に関して、外務省や国際企業をはじめとして過去数十年の日本人が築き上げてきた海外における「日本ブランド」に対しては、今の世代を生きる1人としてすごく感謝しなければならないのだろう、と思っています。一方、ウガンダの事例ではありますが日本人が頑張っている話もあるように、これだけ良い海外進出環境が整備されていながら、ザンビアに行く前の私がそう出会ったように、日本人のほとんどはそれを知る機会すらないことも改めて感じています。そして、アフリカはおろか、世界に出て行く日本人が減ってきてしまっている、という報道も様々な形で耳にしています。せっかく先人が残した良いインフラが無くなってしまう前に、何とか使い倒せないものかなあ、と感じています。

(注1) 国際協力機構。青年海外協力隊事業をやっている団体
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by golden_bear | 2010-10-24 23:05 | IBD(ザンビアプロジェクト)

週末旅行(3) ルアングウァ国立公園で見た野生動物達(後編)- IBD体験記(13)

サファリでの野生動物見学、後編として、残りの写真をアップロードしていきます。前編では土曜日6-10amの早朝4時間分から写真をアップしましたが、後編では、土曜日4-8pm、日曜日6-10am、日曜日4-8amの計12時間分の探索からの写真をアップしていきます。

まず土曜日4-8pmの回。車を30秒も走らせると、まだ国立公園に入る全然前、宿舎のすぐ脇にいきなりキリンが。
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午前の回でキリンは見れなかったので、ここでじっくり堪能します。引き続き、今までに見れなかった光景をあげていくと、まずは池のそばの木の上にカメレオンのような爬虫類が見えます。
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続いて、ゾウの親子
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この後、「ライオンがいたぞ」という声を頼りに、道なき道を探し回ります。30分ほど止まらずに探すと、ついに発見。
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まだ寝起きなのか、機嫌の悪そうなネコのように、首をブルブル震わせて眠そうな顔をしています。そんな光景を見つめる、他の見学車の群れ
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1匹だけ、我々車の群れをすごくにらみ続けているメスライオンがいて、まるで番をしているかのようでした。勿論、ライフルを持っている人も緊張していました。
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15分ほどのライオン見学が終わり、キリンの親子を発見
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そうこうしているうちに日も暮れて、ここからは昼光職と赤い色(動物には見えない)のライトを用いての探索となります。こうなると、普通のコンパクト・デジカメでは、全然綺麗に撮れませんが、念のため載せてみます。まずは、この写真左側の切り株の上に、イタチのような小動物がいます。夜の時間帯に良く見る動物なのですが、動きが早く、静止している写真を撮るのに一苦労でした(これでもほとんど写っていないけど)
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次に、これまた夜に結構見かける動物、ハイエナです。動物の死骸を求めてさまよっています。
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夜にしか見えないがそこそこ珍しい、ウサギのような動物
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木の上に、フクロウなのかワシなのか、珍しい鳥が佇んでいます。
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次に、水辺にツルのような鳥。
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先ほどのイタチのような動物と同様、夜の時間帯に良く見るリスのような動物。こちらはもっと動きが早く、撮れてラッキーでした。
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もう一度、白いライトでのハイエナ
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夜になって動き出したカバ。ちなみに、カバはよく人の集落に来て、ぶつかって人を殺す危険な動物なのだそうです。
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こうして、夜の回はあまり写真が取れないものの、昼間とは違う動物が見れて、感激して帰って来る。と、なんと自分のテントの外にカバがうろうろしているではありませんか。急いでテントに帰って、テントが体当たりでつぶされないか、びくびくしながら寝ることになりました。

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翌朝の光景。様々な動物や鳥の声が聞こえる、すがすがしい朝です。
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早速朝6時から4時間の探索。まず最初に出迎えてくれたのは、2匹のインパラでした。
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今回はガイドさんが、一人前ガイドの資格を得るためのテストを兼ねている回だそうで、車を降りて歩きながら、植物や足跡の説明ができるかどうかを試されていました。
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勿論、地面に下りて歩く際には、ライフルを持った護衛がしっかりガードします。
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正直、歩いて動物の近くまでいけるのか、と思っていた我々は、植物や地面に落ちているものの説明ばかりされて、退屈な時間。インド人など、「こんなテストに使われるんなら、金返せ」と言って、次の夜の会をキャンセルするほど腹を立てていましたが、とりあえず幾つか取れた写真を並べておきます。

まずは、フンコロガシがフンを転がして作った巣。小学生のときに読んだシートン動物記を思い出しました。
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続いて、大きな水牛の死骸。
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牙を引っこ抜いて、
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中を見せてくれます。
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各種動物のフンの違いも説明します。
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そして、足跡。この写真の中だけでも、シマウマやインパラなど数種類の動物が通った後があるそうです。
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大体1時間ほどで、徒歩での探索は終了。本当に動物には1回も遭遇しない、平和すぎる時間でした。

気を取り直して車に戻ると、怪我をしてビッコをひいているキリンに遭遇。肌の色も悪く、頭の部分も怪我をしているのか変形していて、可愛そうな姿でした。
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他の動物は大抵既に見たものばかりでしたので、ここでの写真は控えますが、帰り際に橋を渡るところで、運転手が歓声を。「お前たち、またこんなものが見れて、本当に運が良いなあ」、と言って見ると、橋の柵の上に鳥が。
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この先の道端にもう1羽いたのですが、とにかくこの鳥も滅多に見ることのない貴重なものなのだそうです。


昼休みにスネアウェアのレポートを少し進め、最後の探索に写ります。夕方の空も雲も綺麗です。
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この回は鳥が一杯見えました。床に緑が基調の虹色の鳥達
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次に、木の上に群がるワシ
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その後少し暗くなってから、周りを木々に囲まれた草の多い平原で休憩。数種類の草食動物がのんびりすごしています。
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もう少し暗くなり、ワシの群れが旋回して飛び始めると、不吉な雰囲気が漂います。
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そんな中、あるインパラのオス1頭が、メス数頭に対して、手当たり次第に求愛行動を取ろうとしていました。が、メスもそんなに手当たり次第こられるのがいやなのか、次々と拒否。最後に逃げ遅れた一頭も、捕まっても座り込んで動かず、オスは起き上がらせようとするが、メスは踏みとどまる、と、まるでレスリングの試合を見ているかのよう。結局求愛行為は失敗、という光景が見られました。
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すぐに暗くなって、この平原から車を出そうとすると、いきなりライオンを発見。腹をすかせているのか、のっしのっしと歩いていて、我々の車もしばらくはこのライオンを付け回すことになりました。
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先ほどの平原まで下りると、先ほどのインパラの群れを発見。するや否や、狩が始まりました。ライオンが猛ダッシュを始め、遠くでインパラが逃げている光景が見えました。
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どうみてもライオンの方が速いのですが、インパラが2手に分かれて逃げ、ライオンが追わなかった方のインパラが、声を出して陽動しているように聞こえます。それにライオンが一瞬反応した隙に、どうやら追われていた方のインパラも逃げることに成功したようです。

インパラを見失って座り込んだライオンに近づいて、観察します。心なしか痩せている感じで、狩りをしなければ食にありつけない肉食動物の大変さを感じる瞬間でした。
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この後は、何とかまだ夜に見ていない豹を探そうと試みて、豹の鳴き声は聞こえたのですが、ついに目で見ることができず。時間切れでホテルに戻ることになりました。


10pmに戻った後、この最終回に参加しなかったインド人が、スネアウェアプロジェクトのレポートを進めていて、我々の帰宅に合わせて最後の作業分担。レポートを書き上げ、祝杯をあげて、寝たのは夜中1時過ぎでした。

こうして、計16時間のサファリ動物探索が終わりました。こうしてブログに写真をアップすると、改めて「もっと良いカメラを持って来ればよかった」:どんな危険があるかわからず、安物のカメラしかもって行かなかったが、一眼レフを持ってきても全然問題なかった、という反省が感想としてまず出てきます。それはさておき、このビクトリアの滝とサファリの体験は、その後のMBA生活では普通の旅行にあまり興味が無くなってしまったくらい、改めて強烈なものでした。ましてやこれらの体験を共通の課題を与えられた同僚の学生同士で行うことなど、この先の人生ではなかなか望むべくもない。、ザンビア・プロジェクト内の旅行は、今も持っている「今後の人生で旅行に行くときには、家族や友人などのつながりを大事にすることを念頭におき、卒業後に世界中に散らばる同期の友人達と是非再会するようにしよう」という気持ちを、初めて認識した経験と思います。
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by golden_bear | 2010-10-11 23:24 | IBD(ザンビアプロジェクト)

週末旅行(2) ルアングウァ国立公園で見た野生動物達(前編)- IBD体験記(12)

続いて、もう1つの週末旅行、サファリでの野生動物見学について、あまりに写真の枚数が多かったので前編・後編に分けて写真をアップロードしていきます。

ザンビアといえば、ビクトリアの滝と共に有名なのが、このサファリの野生動物。アフリカと一口に言っても50カ国以上もあり、場所によって気候も風景も様々。実は我々がよく想像するゾウやキリン、ライオンなどの野生動物が見られる地域はそれほど多くなく、現地の人に言わせると「アフリカでサファリで動物を一杯見れるのは、ケニア・タンザニア・ザンビア・ボツワナ」のせいぜい4カ国ぐらいなのだそうです。中でも比較的交通の便が良い入門編のケニアをすっ飛ばしてザンビアに来たのだから、しっかり見とかなければ、ということで、2009年6月12日(金)の夜から、15日(月)の早朝まで、週末を丸々サファリで過ごすことになりました。

お世話になった宿は、Flatdogsという、国立公園の入り口すぐ脇にある最も有名なキャンプ場。2週間前からネットで仮予約をして、2日前に電話で本予約を伝えて取りました。
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一応世界中の富裕層よりの旅行者が宿泊するリゾート型のキャンプ場なのですが、着いたのが夜中だったので、フロントから人が出てこず手続きにも相当手間取って40分くらいかかるのがアフリカ・クオリティ。待っていると、「構内全ての動物は野生。ゾウは危険」の看板。
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ようやく手続きが終わり、まずは綿花プロジェクトの全てのインタビューを終えたことを祝してバーで乾杯します。
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2次会は別のバーへ移動
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翌朝は朝6時から10時までの丸4時間、早速サファリツアーに出かけることになります。ここFlatdogsからは、1日2回、6-10amと、4-8pmの2回のツアーが開催されています。午前中なら昼に強い動物、夕方の回は夜行性の動物が一杯見れます。ライオンなどが狩りをする場面を見れる可能性が高い分、夕方の回の方がお勧めのようです。
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他の宿に宿泊した場合は乗用車やバンで周るツアーもあるようですが、ここFlatdogsでは、運転手とライフルを持った護衛の2人の添乗員をつけてオープンカーで見学しに行くスタイル。ちなみに、この車はトヨタのランドクルーザーを改造したもののようです。
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オープンカーからは、前方にはこのような景色が見えます。2人の添乗員のうち、主に運転手が走りながらバスガイドさんのようにずっと色々な薀蓄を披露してくれます。

宿から5分ほど進むと、すぐに国立公園の入管管理局で、1日入場許可を取ります。ちなみに、このツアーそのもののトータルコストとして、確かツアー代1回$40/人+国立公園入場料$25/人/日+後ほど紹介するテントの宿泊料$40/人/日程度でした(うろ覚えなので違うかもしれません)
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10分くらいで入場許可をいただくと、橋を渡っていよいよサファリへ。その前に、この大河でカヌーから魚釣りをしている2人が目に付きました。
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橋の反対側を見渡すと、朝日がまぶしくて綺麗です。
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橋を渡るとすぐに見えた一番最初の動物は、バッファローでした。まだ寝ているようです。
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かっこいい、と思っていると、なにやら運転席と後部がやたら騒がしくなった。アクセル全開で急にどこかに向かいだしたと思うと、数台の車が止まっているところに。そこでよく見ると、綺麗なまだら模様の豹がいるではありませんか。
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「お前さんたち、午前中の回で豹が見れるなんて、1ヶ月に1度あるかないかの非常な幸運だ!普通は夜の回に赤いライトを当てて見るため、こんなに模様が綺麗に見えることは本当に滅多に無い。これが見れただけでも、今回の元が取れたよ!」と、運転手の方が興奮して話していました。
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以後は、豹に比べると珍しくない毎回見られる動物達が続きます。まずは、インパラの群れ。角があるのがオス、無いのがメスです。
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次に、プク、という動物になります。インパラとそっくりで、最初は見分けがつかないのですが、よく見るとちょっと違います。
- 外観: 後ろから見て、太ももに黒い線があり足が細いのがインパラ、黒い線が無く足が太いのがプク
- 歩き方: インパラは鹿のように前足2本立ち→後ろ足2本立ちという感じで、飛び跳ねるような感じで進むが、プクは猫のように右、左、右、左と歩く
インパラはアフリカのサファリ全体にいるのですが、プクはこのザンビア近郊にしかいないのだそうです。
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カバの死骸。結構落ちています。
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名前は忘れましたが、サルです。よく木に登っています
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遠くにゾウが見えました
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バッファローの群れ
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川の中に見えるのはカバです
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先ほどのサルの親子
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ミズイノシシ。匂いが臭い
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シマウマ。はじめて遭遇したときはこの写真のように1匹だけでしたが、以後群れで見かけることが多い動物でした
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ここまでで2時間ほど経ち、朝8時ごろになったので、15分ほどの休憩。サファリに下りて、軽食を取ります。ちなみに、この軽食はツアー代に込みですが、ビールを頼んだ場合は別料金です。
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休憩が終わったあとすぐに、またガイドの人が大興奮し始めます。「ワイルドドッグがいるぞ!」。慎重に追って、写真を撮ります。親子なのか、夫婦なのか、2匹で歩いていました。
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ワイルドドッグとはじめて聴いた時には、単なる斑模様の雑種犬のように見えたのですが、ガイドさんによると「昔はアフリカに一杯いたのに乱獲されて、いまは世界に100匹いるかいないか、といわれている、絶滅危惧種。ザンビア人にとっては、とても重要な動物なんだ。私もガイドになって1年半、毎日サファリに出ているが、見たのはこれで2回目だよ。お前らはなんて運がいいんだ」。そう言われて見ると、すごく貴重なものを見ている気になりました。
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この後はもう日が昇りきって、夜行性の動物は昼寝の時間。ほとんど姿を現さなくなります。それでも、車を走らせていると、たまに動物の群れに遭遇します。

遠くに見えるゾウ
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シマウマの群れ
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フラミンゴのような水鳥
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この湖沿いには、我々が宿泊したのとは別のコテージが並んでいます。
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そのすぐ脇に、クロコダイルが寝ていました、、、。この9ヵ月後にハワイでトリビアクイズがあった時に、「世界で一番人を殺している動物は何か」というクイズがあったのですが、その答えがクロコダイル。こんなコテージのすぐそばに何匹か見えたところが、アフリカっぽいなと思いました。
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こうして朝6時発のツアーが、10時過ぎに終了。宿に戻ると、昨日は寝るだけで全く見えなかったテントがようやく見れました。
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我々はこの川沿いの2人用テントに宿泊。宿泊だけなら1泊1人$40程度です。
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テントとはいえ、中にはベッドがあります。さすが欧米人観光客向けの宿。
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ドアの奥を開けると、シャワーとバスルームが完備されています。
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屋外の水周りということで、カエルが一杯いるのですが、トイレの水を流して見たときに、なんと水と一緒に大きなカエルが流れ出てきて、おぼれそうになってもがいていたことには、大変驚きました。
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我々のテント以外にも、キャンピングカータイプや、
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木の上のドームテントタイプの宿泊場があります。
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そして、昼食の時間に敷地内のレストランに歩いていくと、なんとゾウがゆっくり我々に向かっているではありませんか。少なくともこの敷地内に、3-4匹のゾウが放し飼いにされているようです。夜寝るときに、ゾウにテントが壊されないか、とても恐怖を感じながら寝たことを覚えています。
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どうにかこうにかレストランに辿り着き、
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昼食を食べます。インド料理を頼んでおけば間違いなく、味はなかなかです。
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そのままレストランでSnarewearマーケティングプランのミーティングと作業を実施。16:00-20:00の、夜の部のツアーに備えます(後編に続く)
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by golden_bear | 2010-10-09 14:55 | IBD(ザンビアプロジェクト)

週末旅行(1) ビクトリア滝とジンバブエ国境 -IBD体験記(11)

IBDの醍醐味は、単純に発展途上国でのコンサルティング・プロジェクトのみではなく、普段はなかなかできないような観光にもあります。現地期間は丸3週間と決められているのですが、その前後に多少足を伸ばして他国に寄ったりすることは、本人の自由。大半がアフリカや南米のプロジェクトである中、早めに出発して経由地のヨーロッパや中米の国々などで2-3日間観光したりする方が多いようです。

一方、このプロジェクト中の週末の過ごし方は、一応クライアントから旅費滞在費をいただいて最終成果物を出さなければならない以上、忙しく過ごすことが多いようです。チームによりけりなのですが、何カ国にもまたがるプロジェクトの人は週末を移動日に宛てたり、はたまた土日とも朝から晩まで仕事をしなければならないケースも少なくないようでした。

私のいたチームの場合は、全員がアジア出身の私費貧乏学生ということもあり、プロジェクト前後に余計な追加滞在を入れることは一切ありませんでした。出発前はテストやら何やらで忙しかったこともありましたが、それよりプロジェクト終了後全員すぐに世界中でインターンが始まることと、母国で受講している米国人と違ってMBAそのものが2年間の高額な旅行のようなものでしたので、さらに高いお金を払って追加の旅行をしたいと言う人がチームから出てこなかった要因が大きかったのだと思います。

その一方で、滞在中の週末は思う存分旅行につぎ込みました。何しろ、現地クライアントのサポートをあまり受けれず「勝手にやってくれ」という形になったため、宿も移動も含めて全てのロジは我々が限られた予算内で自由に設定して良かったのです。そこで、第1週の週末はビクトリアの滝のあるリビングストーンへ、第2週の週末は、Misojiのロッジすぐそばのサファリ(野生動物が一杯いる国立公園)に行くことになりました。本日は、リビングストーンについて、写真を貼っていきます。

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まずは、金曜日の夜に、首都ルサカからビクトリアの滝のあるリビングストーンへバスで移動します。飛行機で1時間で行っても良かったのですが、片道$300もするので却下。一方一日2本出ているバスだと、80,000KWa(約$16)だけど、8時間かかります。ちなみに、飛行機ではUS$表記しかなく、現地人はこんな大金払えないのだと思います。

さらに、バスによってはエアコンが無く、窓を開けると砂埃が舞うものもある。というわけで、もはや全く仕事をする気が無いパキスタン人は、一足早く昼12時出発のエアコン付バスで快適に夜8時に到着。残った我々3人は6時ごろまで仕事をし、7時出発のエアコン無し&ぎゅうぎゅう詰めのバスに乗ることに。
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最初の6時間は日本の建設会社がODAで作った素晴らしく舗装された道だったのですが、それでも狭くて手足の身動きがとれず、右隣の中国人の上では大音量のスピーカーで延々と音楽がかかり、私の髪は後ろの子供に何回も引っ張られる。
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最後の2時間は全く舗装されなていないガタガタ道で、左隣のインド人の上にはバッグが落っこちてくる。午前3時に現地に着いた時にはもうヘトヘトで、特にこのバス旅は女性には全くお勧めできないものでした。

バスから降りた瞬間にタクシー運転手の大群が鬼のように群がって来ましたが、現地メンバーが元々手配してくれていたタクシーにすばやく乗り込み、宿へ向かいます。ちなみに現地メンバーとは、元々マダガスカルでプロジェクトを行うはずだったチームが、当地の政情不安により行けなくなってしまったので、このリビングストーンで別のプロジェクトをやっていたのです。4人1組の部屋の中は、こんな感じで蚊帳が既に用意されていました。
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朝9時過ぎに起きてホテルの外観。
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小さなサルが一杯歩いていて、
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大河ザンベジ川のほとりで朝食をとります。
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このレストランからは船着場が見え、
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遠くにはパラグライダーで飛ぶ人(写真には写らなかった)や、ビクトリアの滝の水しぶきが見える、素晴らしい環境です。
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次に、朝10時に昨日のタクシーの運転手を丸1日雇って、ビクトリア観光。ちなみに、4人で1日ガイドつきタクシーを雇って$70程度でした。滝の入り口で、入園料$10程度を払って中に入ります。
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とすぐに見えてくるのが、この滝の風景。入り口から圧倒されます。
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1-2分歩くと、ポンチョと長靴をレンタルしているところに着きます。
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着替えて記念撮影をしたり、
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近くの虹の写真を撮っているうちは余裕だったのですが、
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滝が近づくにつれてすぐに強烈な水しぶきの中に入ることになり、カメラを使えないのはもちろん、泣きたくなるくらい大量の水を浴びる羽目に。滝と並行してかかる橋を渡って、
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離れ小島のようなところに着くと、こんな感じになります。
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もはやうまく写真にも撮れないのですが、この離れ小島から見る滝の雄大さには感動でした。
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離れ小島の最先端から、帰還ルートとして滝の見えない側へ足をすすめると、ジンバブエとザンビアの国境にまたがる橋が見えてきます。
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先ほどの大量の水を浴びる橋を逆戻りして、ポンチョを返却して、今度は滝の上流側へ歩いていきます。すると、このビクトリアの滝を発見した英国の探検家、リビングストーン氏の銅像がありました。
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滝の真横から、滝つぼを覗くところはあまり見えないのですが、その代わり綺麗な虹が幾つも何重にもかかっています。
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このビクトリアの滝の豊富な水量を提供する、ザンベジ川の広さに感動し、
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しばし時を忘れて佇みます。
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入り口に戻って、これで観光は終わりか、と思ったら、ガイドの人に「20-30分ほど歩いたら、滝つぼまで降りれるけど、どうする?」と言われたので、行ってみることに。最初から急斜面の山道を降りていくと、
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周りの樹木が広葉樹や針葉樹から、ジャングルのようにシダや熱帯雨林のように代わっていき、自然の面白さ、雄大さに驚きます。
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途中からは、インディー・ジョーンズのように、川の中を進んでいくことになり、足とズボンはびしょ濡れになります。
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こうして辿り着いた滝つぼから見た、ジンバブエ国境の橋です。
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この橋のど真ん中から、5分に1人くらい、バンジージャンプで人が降りてきます。私はジンバブエ製のロープってやばいんじゃないか、と思い怖くて挑戦できなかったのですが、パキスタン人と別チームの韓国人は楽しんでいたようです。
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ちなみに、滝の方面はこんな感じで一面水しぶきで、コンデジではうまく撮れませんでした。つくづく一眼レフを持ってくれば良かったと反省します。また、この急流は季節が良ければラフティングでくだることもできるそうです。我々が訪問したときは水量が多すぎてラフティングの船が出ていませんでしたが、実際経験した人によると、「人生最高の観光経験」なのだそうです。
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滝つぼで唯一出会ったアメリカ人の若者が、なんとUCバークレーの出身。思わず"Go Bears"と叫んで喜び合います。その彼もつれて、帰りもまたジャングルの中を通っていきます。
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こうしてようやく全ての滝観光が終わって、外に出ると、遠くにシマウマや鹿など野生草食動物が見えます。
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そこに近づいていくと、土産物屋の一群が。その前で木琴のような楽器を演奏しているお爺さんがいたので、眺めて写真を撮ります。
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すると、演奏終了後にすごい剣幕で近寄ってきて、「お前は聴いたうえに写真まで撮ったのだから、金をよこせ」と脅されます。仕方なく$1を払うことになりました。

このおじいさんの裏側にあるショッピング・モール(?)に入ると、商魂たくましいザンビア人が、あの手この手でお土産を売りつけようとします。「あなた日本人ね。ナカスカという男を私はよく知っているよ。ところで、私の弟は日本の大ファンで、何か日本の記念になるものもってたらくれないか?」(JALの機内で貰ったビニール袋をあげる)「おお、これはいい記念ね。弟は大変喜ぶよ。代わりに、弟が作ったこの置物達を、格安にしてあげるよ。通常1個$40のところを$20でどう?」、、、という感じで、相手から物を貰ってそのお返しに割引して物を売りつける、という新たな交渉術を試されたのでした。これに感心したのと、ナカスカなんて珍しい日本名を知っていたことから、この店から買ってやろうと思い、ギリギリまで色々な条件をつけていきます。すると、他にも4つくらいの商品がついて合計$15となったので、最初の置物は元々$40だったのが$4くらいにまで値下がりしたことになります。

その、おまけでつけてくれたお土産の1つに、ジンバブエ・ドル札がありました。この国境をまたいですぐのところにあるジンバブエは、元々アフリカの中でも最も発展した優良国だったのですが、今のムカベ大統領になり、隣国南アフリカのように黒人の権利を主張し始めて白人を迫害し始めてから、国の統治がおかしくなっていったそうで、丁度私が訪問した2009年5月は、ハイパーインフレの真っ只中でした。頂いたお金は、下記のように$100,000,000,000,000、$50,000,000,000,000、$10,000,000,000,000、$50,000,000,000の4種。
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一気に大富豪になった気分を味わえましたが、お金の価値としては全く無いらしく、観光土産の定番になっていました。もちろん店頭では、最初はこれを1枚$20位で店頭で売っているのですが、最終的には無料(他の土産のおまけ)まで値段が下がりました。

こういう経験をすると、「いったいジンバブエでは何が起こっているのだろうか」と気になるのが人の常。そこで、タクシーの運転手に頼んで、ジンバブエ国境まで行くことに。先ほどの写真の橋の両端に、入国管理局があり、そこで手続きをすると、橋を渡った反対側の入国管理局までは、ビザ無しで歩いていくことができます。
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この橋の中央からバンジージャンプの発射台があるのですが、そこからの眺めも、また壮大でした。
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が、ここではあまりゆとりを持って景色を眺めることはできず。先ほど土産を買って袋を持って歩いているものだから、20人くらいに囲まれて、「貧しいジンバブエ人を救うために買ってくれ」「ジンバブエで俺の家族が死にそうなんだ。買ってくれ」、、、と声をかけ続けられます。しかし、ジンバブエ人とザンビア人は多少感じが違うので、ジンバブエと言いつつ売っているのは全てザンビア人に見えたため、無視して買わないようにしました。実際、橋を渡りきってジンバブエ側まで歩くと、ジンバブエ領内で商売ができないのか、彼らはついてこれないのでした。
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ジンバブエ側につくと、今度は本当にザンビア側で物資を購入しジンバブエに戻っていく貧しそうな人々の姿が多数目に付きます。なんとも複雑な気分になりました。
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1日の観光を終え、ホテルに戻ると、別チームのHaasの友人達と合流し、久しぶりの再開を船の上で祝います。
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このクルーズは大体1時間半。途中ワニが見えたり、
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夕日が落ちる中を、
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このまさに「ミス・ザンビア酒場女」という感じの陽気なガイドさんが盛り上げて説明していく、至福の一時でした。
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ちなみに、この船の上でも、今度はインターンシップをしに来ている、というUC Berkeleyの学部生女子2人と出会いました。言われてみると、この船に乗っているような白人は、全員バークレーという土地・大学を知っていて、世界中で活躍するUC Berkeleyブランドの強さに、またまた驚いたのでした。

こんな素晴らしい経験と再開、美味しい料理を堪能し、ホテルについた後も延々とバーで2次会、そして外のクラブに行き3次会と飲み続けることに。。。


翌日の日曜日は超二日酔いで、とりあえず近所の爬虫類園を観光。残念ながらカメラのバッテリーが切れて写真は無いのですが、巨大なワニが放し飼いにされていて、猛毒コブラの数々、さらに蛇を首に巻いたりする。これが日本やアメリカならあまり怖がらずに見学できるのですが、何しろ場所がザンビアなので、「安全」=大丈夫なのかどうかわからず、おっかなびっくりの見学でした。ちなみに、プロジェクト初日に最初にインタビューをしにいった農業訓練場で道端にいた蛇、何も考えずに近寄って観察して写真を撮ったりしたのですが、その写真をガイドに見せたところ、実は猛毒を持っていてかまれると24時間以内に死亡する危険な蛇だったのだそうです。

そんなこんなで、午後2時のバス発車時刻に集合し、また8時間かけて首都ルサカに戻りました。今度は真昼で暑くて死にそうで、改めて特に女性は飛行機で来たほうが良いなと思いました。ちなみに、ビクトリアの滝を見に行くだけなら、南アのヨハネスブルクやケニアのナイロビなど、外国の空港から直行便で行くこともできるため、空港自体は首都ルサカのものより便数が多いのだそうです。

このように一生のうちに滅多に行くことのできないビクトリアの滝を、同級生12人と堪能できるとは、本当にMBAのハイライト。これだけでもMBAに来て良かったと思える、まさに感無量の瞬間でした。そして、この久しぶりに丸2-3日間ずっとハイテンションな気分を、翌週末のサファリ観光でもまた一味違う形で味わうことになるとは、この時にはまだ想像がつかないことなのでした(次回へ続く)。
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by golden_bear | 2010-09-05 00:19 | IBD(ザンビアプロジェクト)

IBD体験記(10) プロジェクト(2) Snarewearのマーケティング

続いては、有機綿花の話に並行して行われた、もう1つのプロジェクトについて記録に残しておきます。もう1つ並行してやらざるを得ない羽目になったのは、大人の事情によります。ザンビアの現場側は有機綿花のプロジェクトをやりたくなかったのですが、我々学生は本社側との契約上3週間滞在することは決定していたため、現場から「じゃあ綿花のかわりにこっちをやってくれないか」と提案されたのが、このSnarewearのプロジェクトなのです。ちなみに、Snarewearについては、下記リンクが公式ページになります。

Snarewear公式ページ
Snarewear写真の例

前のプロジェクトとの関連も含めてプロジェクトの背景を記載すると、「野生動物を捕獲して食料にせざるを得ない貧困者たちは、サファリに鉄条網の罠を張り巡らせていました。人間も引っかかって危険なほどの状態でした。そこで、この企業が貧困者を農民にしていく過程で、同時に鉄条網の撤去を行った結果、鉄条網の山が在庫として積みあがりました。ここで、地元の芸術家Misojiさんが、この鉄条網を原料にザンビア人が日常に身につけるアクセサリーを作りはじめました。その際、このアクセサリーには、『Snare(ワナ)』から『Wear(身に着ける)』へ、という願いを込めて、Snarewearという名前をつけることになりました」。つまり、原材料はほぼ無料で大量に手に入り、デザイナーも確保し、アクセサリー製造工場の労働力には今まで狩りをしていた人自身をあてがい、「狩りをやめさせてワナを減らして元ハンターが作ったアクセサリー」、という商品コンセプトもできた状態。

こうして我々に提案されたミッションは、「今後どのようにマーケティングして売っていくか、マーケティングプラン兼事業計画書の形でまとめてくれ」、というものになりました。ザンビアに向けた出発の2週間前に突然、初めてこの話を聞いたときの反応は、下記のものでした。
 - インド人: これはこれで面白そうだけど、綿花の方がインパクトがでかいから、綿花でいいんじゃない?
 - 中国人: 全然動きのない綿花よりも、こっちの方が全然面白そうだ。綿花を辞めてこっちをやろう。
 - パキスタン人: こんな意味不明なプロジェクトの決められ方は無い。やれと言われても、絶対にやらない。
 - 私: 面白そう。どっちみち空き時間の片手間に、丸1日程度で事業計画を書くくらいしかできそうに無いでしょう。であれば、やるやらないで揉めるくらいなら、問答無用で両方やってしまったほうが楽では?
 - 教授: これだけでも大きな1プロジェクトなので、今からこれに時間を割いていたら本来の有機綿花プロジェクトができなくなる。また、今からこの情報収集を開始しても、アウトプットの質は落ちてしまうだろう。一方で、綿花プロジェクトはクライアントの協力を得ないと全く手も足も出ない可能性もある。従って、綿花第一優先はそのままだが、もし綿花でできることが少なければ、代わりにこちらをやっても良い

この教授の意見を踏まえ、やるのかどうか決まらないまま出発。
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最初にザンビアのクライアントオフィスを訪問した時に、「もしどうしても綿花のプロジェクトやりたいなら、Snarewearをやってくれたら、農家にインタビューをセットしよう。」と当然交換条件を出されてしまう。さらに、「Snarewearの生みの親、芸術家のMisojiの家が、農家の近くでロッジ(民宿)を経営しているので、そこの宿も格安で提供できる」。このMisojiのロッジは朝食つきで1泊$30ですが、もしここを断ると、1泊$10だがトイレ電気水道全く無い廃墟のような建物か、1泊$100~300もする高級サファリリゾート(しかも高級といっても最低限の設備)かしかない。

ここでパキスタン人は相変わらず「これは俺は絶対にやらない」という態度でしたが、それ以外の3名で話し合った結果、予算の無い我々には、$30/日でこの設備はとても助かる上、芸術家の家に泊まれるのは面白そう。多少嵌められた感がありますが、「そのプランで行きましょう」、と決定。

すると、「そうか、良かった」と言われた直後に、その場でクライアント側の仮説として、「早速だが、ベストな解としては、例えばニューヨークやパリの美術館で1個$200位で売る販路を確立すること。あるいはeBayあたりで米国や欧州で売れるようにできないか、を知りたい」と言われる。、、、おいおい、そういうことならザンビアに来る前にアメリカで調べた方が良かったじゃん。ただ運良く綿花の調査の仮定で、そういう市場(パーティーでこれらのアクセサリーを身につけて、自然保護に貢献していることを誇示するお金持ちの婦人、とか)はある、と、米国で実際にこの業界でビジネスをやっている人に聞いていました。したがって、グローバル顧客側の調査に関してはその社長に軽くコメントを頂いた後クライアントのNY本社に自力で調べてもらうことにして、私達はザンビア側でできるマーケティング(Web含む)と体制構築に絞ることにしました。

こうして2週目の水曜日に初めてMisojiと会い、彼女が作ったディナーとともに、彼女自身にSnarewearの話をインタビューすることが、本プロジェクトの第一歩となりました。実は、前回の記事で39枚目と40枚目の写真に写っているロッジと食堂、そして43枚目で真っ暗な道端で電話会議をしているところの宿舎が、Misojiの宿なのでした。
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さて、Snarewearの実物の写真を紹介します。まず、Mfuwe空港のクライアントがハチミツとかを売っていた土産物屋さんの一角に、Snarewearのコーナーがありました。
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次に、Misojiのロッジで、その日に並べられていたものを掲載します(写真がMisojiです)。
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ちなみに、ここでの値段は、イアリング/ピアスが$2-$5程度、ブレスレットが$5-$10程度、ネックレスが$15-30程度で、旅行者向けの価格になっています。また、「Snarewear」と書かれた箱は、乾燥したゾウのフンから作られているそうです。草食動物のゾウのフンは、消化し切れなかった強い繊維でできているため、良い紙の原料として使われているのだそうです。
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実は、アフリカ人の芸術家と聞いて、ロッジに行くまでは「どういう気難しい人なのだろうか、ちゃんと会話とかできるのだろうか」という懸念が。が、実際にMisojiに話してみて、それは杞憂で、とても素晴らしい女性でした。元々ジンバブエに生まれ育っていたのですが、大学生の時に欧州に留学し、そこでドイツ人の研究者の方と結婚。こうしてアフリカ人女性として白人社会に入った時に、白人社会とアフリカ側の双方に様々な問題があることを、身をもって体験。その苦労と苦悩が積もって、芸術家になり、アフリカに戻ってきたのだそうです。ちなみに、この夫の方は欧州にいるそうで、年に何回かは一緒にすごすのだそうです。

このように、何名かの孤児を引き取って賄いの従業員として、1泊$30という絶妙な値段で風光明媚なロッジを経営する。そして、世界中からサファリの動物見学にやってくるロッジの宿泊客と様々な会話を楽しみ、情報収集とともに自分のインスピレーションを高めて、芸術活動に没頭する。こういう生き方もあることそのものにまず驚くのですが、実際にこういう生き方ができるアフリカ人女性の、頭の良さと会話の面白さ、我々とは全然違う思想や知識に基づく会話の発展のさせ方に、とても驚嘆しました。彼女の方も、さすがに我々インド人、パキスタン人、中国人、日本人の学生が一度にまとめてやってくる、という状況は大変面白かったらしく、毎晩ディナーでは2-3時間、様々な話で盛り上がりました。

というわけで、すっかりMisojiのファンになった我々は、Snarewearを何個か買うことに。このように、ロッジの宿泊客にMisojiが対面販売をする、というのは、とても有力な営業手法。従って、マーケティング・プランの第1候補として、まずロッジの宿泊客を増やすにはどうするか、次にロッジの宿泊客が口コミでSnarewearを広げるための仕掛け作りをどう考えるか、という線が出てきました。

しかし、ロッジの客には限りがありますし、全てMisojiに頼っていたら商売の規模も大きくなりません。当然、売り上げが増えればその分貧困者を製造工場の工員にすることができる、という考え方なので、もっと急激に売り上げを増やす方法を考えなければいけません。そこで、他社の成功事例は無いか、と思っていると、実はすぐ隣にTribal Textilesという巨大な店がある。綿花インタビューの合間にこちらの店を見学することにしました。
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最初に、事務所に「インタビューさせてほしい」と挨拶に行くと、イギリス人の女性経営者が「今から1時間半くらいなら時間空いてるからOKよ。ついでに、中の工場も見ていって」と言う話に。
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このサファリ周辺ではあり得ないような綺麗な建物の中で、まずは有機綿花プロジェクトの話をインタビュー。前の記事でも書いたように、大量の中古服が流れてくるため、国内の綿製品市場は壊滅しているのですが、こちらのように高級品を観光客に売るビジネスをしているところは話は別。今どのように仕入れているか、この条件がそろえばザンビア国内綿花を買っても良い、といった話は、当然プロジェクトに大変参考になりました。

次に、どのような質の綿布を仕入れているか見るために、原材料の倉庫を見学。
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そして、製品が出来上がっていくステップ毎に進んでいきます。まずは広々としてた染色作業場へ。
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最初にデザインの型どおりに下塗りをして
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次の工程から次々に色が加えられていきます。
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作業場の脇には黒板で連絡事項が英語で記されています。ザンビアは公用語が英語で、少なくとも管理監督者レベルは英語に困らないので、このような指示伝達が比較的容易なようです。
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続いて裁縫作業をしているところを見に行きます。
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ここでも掲示板で、オーダー管理と出来高管理をしていました。
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最後に商店に案内されます。商品の展示場は何部屋にも渡り、まるでIKEAに来たかのように、部屋ごとに別々のインテリアコンセプトが展示されています。
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こうして一通り見学が終了となるのですが、この工場見学兼買い物ツアーのプログラム、大変よく練られているな、と感心しました。まず、社長との会話の中に、「うちでは元貧困者だった貧しいアフリカ人を50人雇って、この品質の布製品を作る教育を施しているのです」というコメントが出てきます。Snarewearも同じなのですが、当然このセールストーク自体の効果が高いと感じました。そして、この工場で働くザンビア人の従業員達の目は、他のどの農家や土産物店の労働者よりも、目が輝いているように見えます。自分が作ったものを実際に買ってくれそうな人が目の前を通る、と言うことで、俄然やる気が出ていることもあるように思いました。こうして、やる気のある従業員と、英国から取り入れた標準作業、品質管理が効いているのか、実際にこのお店の生地の品質はとても高いのです。

他にも、どのように宣伝をしているかについても話を聞きましたが、かなり徹底しています。まず、ルサカの空港でも、Mfuweの空港でも、出発ロビーの一番目立つところに、大きな店舗を構えていて、買い忘れた旅行者に再度売る機会を与えています。そして、飛行機の中に、A41枚でラミネートされたお店と商品の紹介が各座席に置かれています。これを見ると、サファリに行く旅行者向けに、まさに我々が経験した工場見学ツアーを無料で提供しているのです。実際、我々が当日見学を終えた後、数十名の旅行者が次の団体として来ていました。

商品を買うと共に御礼を言い、最後にTribal Textilesの商店内でMisojiのSnarewearを売る可能性があるかどうかを議論。実は、この社長とMisojiとは友達だそうで、ずいぶん前からその計画は立てているのですが、幾つか関門がありその実現には至っていないそうなのです。

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次に週末にサファリへ観光に行った時、泊まったホテルの土産物屋でも、どのようにビジネスをしているか聞きました。サファリ観光に関しては別記事で書きますが、地域で一番有名な大きなホテルで、シーズン中は数百名の単位で泊まるホテルなので、Misojiのロッジよりは来店客が相当多いのです。ただし、その分土産物屋の商品も多種多様で、競争が激しい。ここでは、どのようなコンセプトで商品を選定しるか、陳列場所の優先順位と売れ方、また季節物、セールなどを特設コーナーでやる可能性、などを聞きました。ここからの学びは、世界中どこでも土産物屋の経営手法はあまり変わらなさそう、ということと、とはいえオーナーの考え方次第で、気に入った商品を全面的にサポートする余地はある、ということです。

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このサファリ観光日の日曜日の午後、インド人、中国人と私の3人で、マーケティングプランを練りました。具体的な内容には触れられませんが、メッセージは主に下記の3つで、それを示すための分析を、Tribal Textileやホテルの土産物屋をベンチマークとして行いました。
- 販路は主に(1)サファリ周辺、(2)サファリ以外のザンビア全域、(3)グローバル(ebayのworldofgoods.comやetsyなどe-commerce含む)、の3種類。それぞれの市場規模や客層、競合はこのようになっている。現在の製造原価と固定費を考えると、損益分岐点はこの程度と推測され、各マーケティング手法の肝はそれぞれかくかくしかじかである。ただし、買う気のある観光客が集まる(1)で売れないような状態で、いきなり(2)や(3)に持っていっても、売れる見込みは高くないので、(1)が最重要。
- (1)で売るために足りないものは、XX,YY,ZZであり、このうちXXはすぐできるので直ちに行うべき。YYやZZは、外部の業者を使うことになるため、良い業者の選定に実験が必要なこと、組織体制やルールの変更を伴うこと、それぞれにこれだけのお金と時間の見積もりが必要
- (1)、(2)、(3)の全てにおいて、Misoji側とクライアント側の緊密な連携体制が必要。各々が具体的に行うべきアクションのリストはこれであり、これを相互に監視すること。
 結果、日曜日の深夜に、Word15ページと、パワーポイント3ページの提案書が完成。全く議論に参加しなかったパキスタン人は置いておいて、バックグラウンドも感じ方、考え方も異なるインド人、中国人、日本人による、容易に発散しがちになりそうな議論を、丸半日で報告書作成まで含めてまとめ切れたのは、全員がマーケティング必修授業のRassi教授が使っていたフレームワークに基づいて物事を考えることができたため。チーム内に共通言語があるありがたみと、MBAの知識って役に立つじゃん、と言うことを改めて認識しました。

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提案書を持って、月曜日の朝一にMisojiに会いに行きます。先に工場を案内してもらい、その後、3ページのパワーポイントに基づいて、我々のを議論します。我々の言うこと、内容はとてもよく理解して頂いたのですが、アクション・プランの所になると、次第に顔が曇ってくる。事前に、売り上げとコストの分配の仕切りをどうするか(クライアント/Misoji/他の店においた場合はその店の分/サプライチェーン/広告・宣伝)、ブランドマネジメントをどうするか、といった問題がわかってたので、そちらの問題をどうするかについては提案に含めていました。しかし、やはり、我々のクライアントが非営利/非政府組織として求める目標と、Misojiが芸術家として求める目標の違いが、さほど違ってはいないものの完全に一致することはない、という部分が根本的にあり、我々が提案したアクションについて「やってみる」とは言われたものの、どこまで実現できるかは難しいだろうなあ、という印象を受けました。

この感覚は、最終日に話をしたクライアント側でも同じで、「確かにアクション・プランとして必要なことはその通りだが、恐らくお互いそうならないだろう」とのこと。ただ、「今年の下期にやる別プロジェクトに、このSnarewearのビジネスを一緒に乗せることを計画している。そのたたき台として、このアクション・プランを含めてあなた達の報告書は大変参考になる。」というフィードバックを受けて、ビジネスが先に進んだ意味では意味があったのだと思います。

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実働丸3日間くらいの大変短いプロジェクトでしたが、非常に勉強になりました。まず、今米国で大流行しているフェア・トレードの世界で、アフリカ側で実際に何が起こっているのか、生の現場を見れたことは、大変参考になりました。そして、人生をかけてザンビアやアフリカをより良くしようとしている人々達と、根本的に何が重要なのか、というレベルで真剣に事業計画を議論したことで、結局ビジネスは人次第であること、どんなに良いプランでも、「これをするのがベストだ」、と心から信じきったもので無い限り、その通りには動かないことを学びました。「マーケティングは人生そのものだ」というRassi教授の言葉、今後どんなビジネスに関わるときにも肝に銘じておきたいと思います。
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by golden_bear | 2010-08-28 10:26 | IBD(ザンビアプロジェクト)

IBD体験記(9) プロジェクト(1)の写真(全73枚:容量注意)

前回の記事が文字だらけになってしまったため、今回は関連する写真を掲載、、、していたら今度は写真だらけになってしまいました。まずは最初に訪れた農業訓練場の写真から。
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校舎(寮)の周りに、実習用の畑が広がるスタイルのこの研修場では、元牧師の校長が手厚く出迎えてくれました。
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普通のミーティングルーム
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で1時間半ほど話を聞くと、となりに座っていた若手の関連業者の人がどう思っているかは別として、とにかく「オーガニックコットンは非常に素晴らしい活動だし、うちの研修所に習いに来た生徒もとてもうまくやっている。絶対広めるべきだ!」と、非常にポジティブな話に。ここでは何冊かの教科書を買えた上に、いくつかの連絡先を教えてくれました。

その後まだ残っていた、実際の有機栽培綿花を見せてもらえました。
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余談ですが、実はここに来るまでには首都から北へ1時間、後半30分くらいは下記のような砂利道を通っていました。
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すると、ついた頃にはパンク。運転手が必死にスペアタイアに取り替えています。
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ようやく回復して少し行くと、診療所に老人と子供が列を成しています。これは以後毎日よく見かける光景になりました。
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午後に首都にあるクライアントの事務所へ。この事務所で働く別のチームと久しぶりの再会に、抱き合って喜びます。
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実はこのチームは30個も課題を言い渡され、寝る間もないそうです。「なんでザンビアまで来てデスクワークなのだ、残念」と言われてしまいました。確かに綺麗な事務所ですが、ザンビアとは思えない意味で一長一短です。
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翌日はチームを2手にわけ、私はインド人と2人で車で2時間行ったところにある別の農業訓練場へ。ここでは、ザンビア人の巨漢の校長に、世銀から派遣されたパキスタン人、さらにザンビア人の大学院生が出迎えてくれました。
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しかし、雰囲気は昨日から一転して。「あんたら、誰に頼まれて何しに来たのさ。悪いことは言わないから、こんなの辞めて国に帰ったほうが身のためだぜ」、としょっぱなから脅しにも取れるような感じで1時間、延々と質問攻めに会いました。ようやく我々がただの学生だとわかると、今度は1時間半ほどかけて、有機綿花栽培が如何に大変か、各作業プロセスごとに延々と講義が始まりました。耳慣れない英単語の嵐でちんぷんかんぷんのまま、昼になってしまうと、話して満足したのか、パキスタン人の方がなんと自宅へランチに招いてくれました。
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徒歩三分のところにあるにしては立派なお屋敷で、サンドイッチとサラダと目玉焼きをいただく。
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と、サラダから蟻が2匹出てきた。私以外はインド人とパキスタン人なので、平然と食べてます。なので、「大丈夫か」ととても不安になりながらも、9割方完食することに。こんなトラブルがあったものの、世銀から技術エキスパートで何カ国も点々とする生き方の魅力と苦労を、じかに聞くことができた貴重な機会でした。

午後には戻って、まず畑を見に。写真の大学院生が、有機綿花栽培の手法を詳細かつ丁寧に教えてくれます。
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この周りの単なる藪みたいなものも、ある種の虫除けに効果があるらしく、他にも綿花の木を植える間隔や、綿花と綿花の木の間に入れておく作物、事前準備と事後処理に、栽培中の毎日の手入れの方法など、本当に手間隙かかって大変な労力なのだなあ、と実感します。そうしてできた綿花がこれ。
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さすがに、昨日のものよりは大きく、収量を聞くとそれだけ取れれば採算が合うくらい一杯取れるようです。しかし、それは学校で大学院生が付きっ切りで育てた結果であり、数千人規模でやってもらうと考えると、また全く別問題になってくる話なのです。

本日のもう一つの収穫は、綿花から種を取って真綿にする機械を見れたこと。
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この写真のように、人の3倍ほどの高さがある機械の上から、数百キロの綿を入れてドラムを回すと、のこぎりの歯が並んだようになっている柵の隙間から種だけが出てくる仕組み。この大きさでも、一番小さいサイズだそうです。中国語がはがされた形跡があり、中国で減価償却しきった廃品を持ってきたのだろうと想像がつきます。

こうして、学びの多かった一日を追え、帰り道には大河が見えました。
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ザンビアはアフリカで一番水が豊富であることもうなづけます。続いて、水のあるところに集落あり。
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と思っていると、運転手が突然車を止め、魚を買ってきました。
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翌日聴くと、実際にとても美味しかったそうです。ちなみに、この袋で8匹入って$2程度でした。

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翌日は我々メンバー出身国の大使館から情報収集をしたのですが、さすがに大使館の周りは銃を持った護衛が一杯いて、写真を撮りにくい。従って、真向かいにある最高級ホテルの写真です。
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ちなみに、ザンビア首都にいるもう一つのチームは、女性が2人いることからも、我々と違ってクライアントがマイクロマネージしていることからも、このホテルに泊まれているそうです。

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翌週月曜朝には工場地帯へ。少し上で話した、綿花を真綿にする機械をシェアNo.1で持っている企業にインタビューしに行きました。
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場合によっては顧客にも競合にもなりうるこの業者へのインタビューは、さすがに物々しい雰囲気でしたが、いざ始まると、「とにかく不況で大赤字でオーガニックなんかやってる場合ではない。つい最近、オーガニックのプロジェクトも一旦停止にしたばかりだし、下手をすると普通の綿花も駄目かも」という本当に困った感じでした。どこまで演技かわかりませんが、確かに、巨大な設備があるので、赤字幅は大きいと思われます。ともあれ、アフリカで政府の保護もある寡占企業がここまで大変になってしまう、リーマンショックの提供の大きさに驚きました。
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ちなみに、工場周辺の様子は、ほとんどスラム街のようで危ない感じでした。
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以前の記事で紹介した、「元々どこかの誰かが寄付した結果」、国内市場をぶっ壊してしまったTシャツの古着がダンピング価格で売られている光景も、ここで見れたわけです。
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ようやく都市部に戻ると、今度は政府系の建物へ。1箇所ある団体に行った後、
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日本の霞ヶ関に当たる官庁街の農業関連のビルに入っていきました。
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建物はぼろいですが、入り口は結構綺麗になっていて、日本の地方中堅都市の市役所のイメージ。
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と思っていると、結構日本人が活躍しているポスターが中に貼られています。
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この話は、別記事で書こうと思います。

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3週間の前半、首都での情報収集を終えて、いざ東部の農村地帯へ飛行機で向かう。18人乗りの小型機に、乗客は我々だけ。
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窓を見渡すと、円形に水をまく形で灌漑がされています。アフリカではよくあるのだそうです。
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高級ジェットらしく、機内食(?)もきちんと出てくる。ちなみに、この日のこのチケットは片道$180なので、往復で普通の人の年収が吹き飛びます。
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到着。いくらタンザニアがすぐ目と鼻の先とはいえ、さすがにこんなに小さい国際空港に来るのは初めてです。
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空港内。
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目立つところに、我々のクライアントの売店があります。ここでは、元野生動物貧困ハンターから更正した人が店員をやっていますが、全く売る気が無いのか、無愛想極まりありません。
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そもそもみやげ物やは到着ロビーでなく出発ロビーに置くべきだろう、と思っていたのですが、そうできない理由が次記事で明らかになります。

ともあれ、これがクライアントの農場で働き始めた人が作った、ハチミツやピーナッツバターになります。
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ピックアップトラックの荷台に乗って、まずは5日間お世話になる宿へ。さすがにこちらは道も未舗装だし、水道も電気もガスもありません。しかし、大通り沿いで携帯電話は繋がるうえ、コインで削るプリペイドカードで料金のチャージも可能です。
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食堂はこんな感じ。
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夜も日が落ちて2-3時間は、太陽電池でためといた電力を使うことができます。水には困らないので、最低限の生活と携帯電話が保障された生活。なかなか素敵なものです。

その後、クライアントの現地事務所に向かって挨拶。ピーナッツバター作りの建物など、施設を少し見させてもらう。
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夜は戻って、私だけ電話会議。なんと大通りに出ないと携帯電話が使えないことから、ランタンとPCの明かりを頼りに、ライオンやカバに襲われないかびくびくしながら、こんな感じで1時間の電話会議をこなしました。
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ちなみに、電話の相手は国境を2つまたいだ1,000kmほど北の国、ウガンダになります。

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翌朝は農家のインタビューの前に、前日未見学だった施設を見せてもらいます。まず精米所。
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脱穀機を通して、
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最後は女性の手で選別、袋詰めされます。
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次に、ハチミツ工場。
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当然ハチが一杯で、おっかなびっくりの見学です。
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最後に主食のトウモロコシ。このような種の状態から、
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機械を通すと、
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粉になります。
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これを蒸して固めたのが、「ンシマ」と呼ばれるザンビアの伝統料理です。美味ですが、エネルギーの塊なので、これを食べるととても太ります。
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給油をして、
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いよいよ農家へのインタビューです。
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1件目。いかにも農家。
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いすを並べてインタビュー。
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ちなみに、農家の方は英語がしゃべれない(国としての公用語は英語なので都市部では英語で問題ないが、農村では大多数の農民は主に3種類ある現地語のどれかを話す)ため、クライアントで同伴して頂いた方に通訳をお願いしてインタビューすることになります。

住居はこのような感じ。
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色々な作物がおよそ10数メートル間隔で並んでいます。
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取れた綿花が出荷待ちの状況
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ふと、遠くで煙が上がっていると思ったら、焼畑をしているようです。
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遠くだと思ったら、実はあっという間に我々の近くまで燃え広がって来ました。
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「やばい、焼き殺される」、と思ったのですが、ギリギリのところで火の向きが変わってセーフでした。焼畑も命がけのようです。それにしても、貴重な緑がもったいない、、、

綿花を取るのはこのような小さな子供達。最初は警戒されましたが、最後にはとてもよくなつきました。
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次の写真は3件目に訪れた農家。この家にはテレビがない程度に、上の農家より少しだけ貧乏です。
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中国人が赤ちゃんにFacebookのキーホルダーをあげると、しゃぶっています。おなかがすいているのかもしれません。
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続いて、4件目の農家。今までの1-3件に比べると、ずいぶん豪華な家が経っています。
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綿花も白くて大きいものがこれだけたくさん収穫できています。
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実はこの農家をインタビューしたのは、去年からオーガニックコットンを辞めて、農薬と化学肥料を使い始めたから。そうすると、綿花のつき方も今まで見ないくらい大きく綺麗になるのです。
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どうりでレンガ造りの立派な家が建つはずです。
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この「同じ農民でも、貧富の格差がある」からくりには、いくつか理由があるのですが、その1つが農地と作物の選択。実はこの家、すぐそばの沼で、ほうれんそうのような高栄養価の野菜を育てていて、これが非常に高く売れるのです。
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ちなみに、ザンビアの農村の場合、不動産屋なんてものは無く、要は「そこで栽培を始めた人」が所有者となる、というルールとなっているようです。これだと、水に近いところを抑えた人が裕福になるし、非常に残念ながら焼畑してでも自分でよい土地を作り出そうとするインセンティブが働いてしまうのだなあ、と痛感してしまいました。

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最後に、お世話になった様々な方々に御礼を込めて、集合写真をいくつか載せておきます
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それにしても、プロジェクト(1)に関連するものに絞って、かつ見せたいものの6-7割くらいしか写真に残せていない(本業に集中してたり、本当に凄いものは衝撃的すぎて写真を撮りにくい)にも関わらず、過去類を見ない長い記事になってしまいました。如何に強烈な体験だったか、1年経った今でさえも。そして、これと並行して行ったある民芸品のマーケティングプロジェクトが、また全く違う鮮烈な体験として、1年前の思い出に花を添えています。これについては、次回の記事で紹介いたします。
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by golden_bear | 2010-08-17 12:56 | IBD(ザンビアプロジェクト)

IBD体験記(8) プロジェクト(1)ザンビアの有機綿花産業

卒業式から丁度3ヶ月が過ぎ、新しい環境にてMBA時代とはまた一味違う、刺激的な日々を送っています。この間、各大学のMBA卒業生の方々らも含め、様々な人々にお会いできました。お話をする中で、私がMBA中にした数々の経験の中で最もユニークなものは、やはり昨年のザンビア3週間(+α)プロジェクトで決まり、と気づきました。これについて、今後どこまでやれるかわかりませんが、当初の予定通りできるだけ書き残しておこうと思います。

先に、ザンビアプロジェクトの過去記事の紹介です。今まで下記7記事までアップしています。(画面右「カテゴリ」内の「IBD(ザンビアプロジェクト)」をクリックすれば全て出てきますが、下記クリックで各記事にも飛べます)

速報 ザンビア行き決定(か?) IBD体験記(1): IBDのプロジェクトになぜどのように応募して、最初の授業でどのようにチームメンバーが選抜されたか
ザンビア行きに必要な予防接種とは:IBD体験記(2): タイトル通り、予防接種の様子について
誰も望まないプロジェクト - IBD体験記(3): 1月から出発直前の5月までに、何が発生していたか。プロジェクトが2点3点し、クライアントの親団体と子会社現地法人とのポリティカルな対立に巻き込まれる様子を記載
無事帰国! と今後の記事方針 - IBD体験記(4): 今後書きうる記事の目次と、ザンビア国内の綿製品路上市場の写真
活動メモ(1) 5/22(金)出発-5/24(日)入国 - IBD体験記(5): 出国から到着初日までの様子を写真つきで
活動メモ(2) 5/25(月)開始-6/14(日)帰国 - IBD体験記(6): これはもはや私専用の備忘録ですが、残りの全日程分毎日印象に残った出来事の簡単なメモ
IBD成果報告会 - IBD体験記(7): 各チームの報告写真や、我々のチームの発表内容について。

以後は、IBD体験記(4)内で頭出しした下記の順に、とはいえ既に忘れている部分も多いため、未だに印象に残っている部分のみを簡潔に記載したいと思います。
- プロジェクト(1) ザンビアにおける有機綿花産業の可能性
- プロジェクト(2) Snarewearのマーケティング
- 週末旅行(1) ビクトリア滝・リビングストーン・ジンバブエ国境
- 週末旅行(2) ルアングウァ国立公園(サファリ)で見た野生動物達
- 文化(1) ザンビアと日本
- 文化(2) ザンビアの衣食住
- 文化(3) カルチャーショックと学び
- 携行品とおみやげリスト

というわけで、本日は2つ並行で行ったプロジェクトの片側、メインの有機綿花産業プロジェクトについてです。IBD体験記(3)内で書いたとおり、本社側がやりたいプロジェクトを現地側が完全に拒んでしまったため、最後の1週間まで本当に五転、六転し続けたこのプロジェクトですが、終わってみて振り返ると、プロジェクトの定義自体は下記のようなストーリーで語ることが可能です(1年前の記憶、かつ私の主観で書いているので、多少現状の実態とは異なる可能性があります)。

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クライアント(依頼主)は、100年以上の歴史を持つグローバルNGOで、野生動物の保護を目的としています。今回の目的地ザンビアは、ケニア・タンザニアと並び、全世界屈指の野生動物の宝庫。しかし、ここでは農業すらできない貧困層(国民全体の平均収入が$1/日に対して、$0.5/日程度)の人々が、仕方なく野生動物を狩って食べて生き永らえようとしていた。この狩りは農業に比べると当然成功確率が低く、ますます貧困になる、という悪循環が起こっていました。

この状況を見て、5年前にクライアントはザンビアに合弁会社を設立し、貧困に喘ぐ野生動物ハンターに農業を教えることで、貧困解消と野生動物保護を両立するプロジェクトを始めました。ここで、HaasのIBDプログラムでは、このザンビア合弁会社立ち上げ時以来、現地に住み着くことになった現地法人の社長と2人3脚で、組織構築や農作業トレーニングのプロジェクトを何度か繰り返し、成功させてきました。結果、主食に近いお米から始まり、ピーナッツバターやハチミツなど、作れる作物が徐々に増えてきて、5年間でなんと6,500人のもと貧困ハンターを、普通の農家へ戻すことができたのです。

このザンビアの成功例を見たNGO本社では、「もし世界中どの国でも栽培可能な綿花で、ザンビアと同じことができて、横展開可能なら、とてもインパクトが大きい」と考えました。そこで、現地法人も綿花栽培も盛んなマダガスカル、綿花栽培はそこそこだが現地法人がしっかりしているザンビア、現地法人はまだ弱いが(有機)綿花栽培がとても盛んなウガンダの3カ国で、パイロットプロジェクトをやりたい。さらに、少量のパイロットで利益を出して自立させるには、単価の高い有機綿花(オーガニックコットン)でやりたい」ということで、プロジェクトを設計。HaasのIBD側でも、マダガスカルで2チーム、ザンビアで我々1チームがプロジェクトに入る予定でした。

しかし、これに困ったのはザンビアの現地法人。今までのハチミツやピーナッツバターは、作ってパッケージにしてから売るまで、全て自分達だけでまわす事ができました。しかし、綿花となると難しさが全く違います。まず、最終製品に至るまで、6プロセスあります。
 1.綿花の栽培 → 2. 綿花から種を取って綿に → 3. 綿を紡いで糸に(必要ならここで色をつける) → 4. 糸を編んで生地に → 5. 生地を、Tシャツなりシーツなりへと加工 → 6. 加工された商品にプリント等最終仕上げ

このプロセスの中で、ハチミツらと違うのは、(時系列的には行く前から判明している分だけでも)下記の点となります
(a) 2.には数百万円の、3.には数千万円-億単位の投資がかかります。もちろん昔ながらの手作業でやってもかまわないのですが、今回はオーガニックコットンということで、最終的に先進国市場を目指す。となると、高品質を保つ機械が絶対に必要なのです
(b) 1.の段階までにとどめて、どこかに綿花を売ることで生計を立てることも考えられる。この場合、売り先は2.の業者となる。しかし、実は2.はグローバルの農業企業が、政府との強いパイプを梃子に、世界各国の拠点で事業を展開している。普通にごく少量で売ろうとしたら、奴隷・搾取と言われるギリギリの価格まで買い叩かれてしまい、赤字が見込まれる。
(c) 1.2.の段階までやって(実は2.の装置なら、中国やインドの中古を安く入手可能な可能性あり:実際にそうしているところばかりだった)、3.で売る計画もあった。しかし、2009年4月段階で、ザンビア国内で唯一3.をやっていた業者が倒産。つまり、3.をやるためには、タンザニアやジンバブエなど隣国の業者に輸出してお願いすることになる。が、当然関税がかかる上、関税無しで近い国内業者との戦いとなる
(d) かりに3.まで隣国パートナーを探せて何とかなったとしても、4.以降はグローバルの戦い。そもそも綿なんて、シカゴの取引所等で値段が一律に決まってしまうコモディティ商品。中国やブラジル、インドの高効率・高品質な綿花に一般的には勝てない(から、ザンビア国内では3.の業者が全滅した)。こんなところに勝負を挑めるのか。
(e) 仮に稀有な最終製品のお客さん(例えばユニクロ)が、「ザンビア気に入ったから、ザンビア発の有機綿花をうちが買い取りましょう!」、と言ってくれて、まさに製造小売のやり方で1.から6.まで全て面倒見てくれることになったとしよう。(ちなみに、ここなどから、ユニクロは実際にバングラディッシュで似たようなことをやるようです。)その場合でも、オーガニックコットンを「本物のオーガニック」という為には、3年間化学農薬・化学肥料を一切使っていないことを証明するトレーニング・プロセスを得なければならない。この証明・監視に莫大な時間・コストがかかる
(f) しかも、折りしも時はリーマンショック直後で世界経済が最も落ち込んだ2009年前半。こんな中で、高級品のオーガニックコットンは全く売れていない(と、バークレーでの事前インタビューで嫌というほど思い知る)
(g) これらを通して採算が取れる値段を、農家に示してあげないと、農家が有機綿花を作りたいなんて思わない(または、農薬使いたくなる)はず、、、

 実は上記プロセスをはじめ、このプロジェクト、2年前の段階から既にオーガニックの認証を取る活動が始まっていたのです。その結果、これだけ面倒なことが次から次へと判ると、現地法人側はもう辞めたくて仕方が無い。でも、本社側はかなりの投資を経て、今年の3年目を乗り切れば認証がようやく取れるところまで来ている。さらに、一番有力候補だったマダガスカルが、09年春に政情不安で事実上オフィスごと撤退せざるを得なくなってしまった。そこで、唯一の頼みの綱になってしまったザンビアにて、「"Conservation Cotton(環境保全活動をした綿花)"という言葉でマーケティングができないか」、などなど、我々にもかなり奇抜な調査、アイデアを要求してくるような状況で、始まったのです。。。が、IBD体験記(3)にも書いたとおり、現地側はついに喧嘩別れし、我々には一切の現地サポートが与えられず、行ってからの調査は全て独力でやる羽目になりました。
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ここまでがザンビアに行くまでに判っていた経緯となります。そして、行ってから実際に行った調査は、独自調査なのでクライアント関係無しでもよかったのですが、やはり最終報告する相手に何か示したい、という意味で、「このプロジェクト続けるべきか、やめるべきか」にしました。というわけで、下記4点を順に調べてまとめることになりました。
(1) 各プロセスのコスト積み上げる(または、途中のプロセスで売る)ことで、長期的に採算が取れるのか
(2) 仮に採算が取れるケースがあった場合に、具体的に各プロセスで誰がどのように動くのか。それは誰が全体の旗振り役になって、実現可能なのか
(3) (2)で決めた「やらなければならないこと」は、実際の時間軸でどのようにはまるか
(4) (3)を見て、現実的にやるべきか、やらないべきか

3週間のうち、最初2週間で調べきって、最後1週間のうちにまとめる予定でしたが、元々現地クライアントがアレンジする筈だった各プロセスへのインタビューが、行く3日前に全部キャンセルになったので、出発2日前から当日にかけて、ありったけの参考文献に連絡先(~10件で精一杯だが)にメールを出しまくる。結果、ザンビアについた日(日曜日)に、幸運にも次の火曜日と水曜日に農業訓練所2件へのインタビューがセットされている状態でした。以後、この2箇所の農業訓練所から、芋づる式にインタビュー先を増やして行き、翌週火曜までに、国内/近隣諸国の各プロセスの企業や工場数社、クライアント以外の農家、国内の衣料品店、海外へ衣料を売る商社、政府(農林水産省)、農業統計をとるシンクタンク、他国で同様のプロジェクトを神がかり的に成功させてきた方(この方からの学びはとても簡単には表現できないので、別記事で紹介します)などなど、手分けしながら電話や対面で、無理やりインタビューできました。最後の方は皆さん紹介する人が互いに一緒になっていったので、首都ルサカ周辺に存在する国内の関係団体のほぼ全てから、数少ない定量・定性情報を集めきったと思います。

そして、翌週水曜から次の月曜まで、飛行機で東部の農業地帯に飛んで、クライアントの農家5件(及び、現地の高級織物土産物店兼工場)にインタビューに。ここで実際に、1日0.5~2ドルで生活する農家の人々の生の実態に触れたことが、今回の旅で最も衝撃的でした。プロジェクトに関係するごく一部の話だけでも、下記のような話が実際に見て取れたからです。(プロジェクトに無関係な内容で驚いたことは、別記事で紹介します)
- どの作物を作るか、のシビアな選択(Crop Competition): この農家の方々は、まともな教育も受けれず算数の計算も100%とはいえない。しかしながら、食料は死活問題。自分の周りの畑の広さや質、水の量、女子供の労働力などから、どの作物をどれだけ作るかの計画は、現実に利益が最大化されるように、定量的な計算に基づいて選択される
- ザンビアの土壌の特性: 他のアフリカ諸国に比べて、水も土壌が豊かなザンビアでは、害虫が思いのほか多く育つ。従って、有機栽培にしただけで、収量が一気に落ち込んでしまう。「こんなのじゃ全く採算が取れない」ということで、2年目から一気に辞めてしまった農家の人の言うことも、実際に彼の畑から取れる綿花の質を見て納得せざるを得なかった。
- 一方で、化学肥料や農薬が大嫌いな農家も多い。数年で土地が駄目になってしまったり、子供が農薬で病気になってしまったりしている経験から、絶対に使いたくない、としている農家もあり。

こういうわけで、最終週の火曜日から木曜日までしっかり丸3日分析期間を取っていたにも関わらず、チームレポートのまとめは困難を極めました。まず、上記6プロセスのどこをどうするか、という話の組み合わせで、現実的な論理解だけで数十通り出てきます。その中から、結局様々な過程を組み合わせて残ったのが、下記5シナリオ
解(1): 全て面倒見てくれるエンジェル的な顧客(例:上のユニクロ)にプロジェクト: 実は当時具体的に2社発見していており、その顧客が要求している情報もおおむね今回のプロジェクト内で整理できていた
解(2): 顧客はいないが、拡大路線: プロセス2.の装置を買い取り、自社で綿花→綿まで作れる事を担保する
解(3): 顧客はいないが、現状維持: プロセス2は自社では行わず、現地企業に依頼。
解(4): 顧客はいないが、縮小: 当面、綿花は「オーガニックではない通常綿花」に混ぜて、同じルートで売ってしまう。当然赤字だが、完全撤退はしない
解(5): 完全に撤退する

この中でどれを選ぶかは、困難を極めました。最終的にとても複雑なモデルとなったコスト計算がなかなか精度良く合致しないこともありましたが、実は、都市部の関連企業・団体のインタビューを全て聞き終わった段階で、ほぼ「無理」という結論が仮説だったので、解(5)だけ考えていて、計算をストップさせていたのです。しかし、農村で農家の話を聞いて、「もし、彼らがやりたい、というケースがあれば、それを停める理由はどこにあるのか。大目的が『動物保護のために農業をさせる』ことならば、もし今全く採算が合わなくても、将来の景気好転にかけるシナリオがあっても良いのではないか」、と考えるようになっていったのです。

結局このことから、最終的に(4)のケースを提案することに。実際、6,500名の農家のうち、自分の持っている土地の条件などから、オーガニックコットンを作りたい/作らざるを得ない人が100-200名ほど居そう、という予想が立てられたため、以後これを元にどれだけ赤字を最小化できるか、という点で細かいパラメータを調整しました。

これだけでは終わらず、最後のコミュニケーションプランを作るところでもしびれました。実はこの解(4)、クライアント本社と現地法人両方にとって不利益な耳の痛い話で、正直最も危険な解だったのです。しかし、大上段の目的「動物保護+環境保護」、及び、農家の立場に建つことで、本社の面子を保ちつつ、現地法人にもしぶしぶ了解してもらえる「痛み分け」、に持っていくストーリーに。結局、最終日昼までプレゼンの構成を何度も練り直しました。

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こうして3日間の突貫工事で、Word48ページ、Powerpoint15ページの最終報告書を書き上げ、最終報告書の報告へ。我々など見たくも無い、という感じだった現地法人の社長も、最後だから、ということで、5分だけ、という形で話を取ってくれました。

最初は我々が見たままに、如何に有機綿花栽培が大変な事業か、ほぼ無理だ、という話から入り、彼の「やっぱりそうだろう」、という同意を得ます。しかし、「当然廃止だろう」、と彼が主張したところで、我々が努めて物腰柔らかに、「しかし、本当にやめてしまっていいものでしょうか」という反発に入ります。ザンビア全体のサプライチェーンが疲弊し皆撤退状態で、トップダウンで新規参入できればチャンスでもある、というマクロな話から入り、農家の人が日々何を考えて綿花を作っているか、ごく少数ではあるがこのプロジェクトを辞めないでほしい、と切に考えている人が居ること、そしてそれを継続するだけなら、赤字も全然たいしたことは無いこと、最後に、継続することで本社の面子も保てること、、、それとなく話すと、紅潮していた現地社長でしたが、しぶしぶ我々の提案を納得してくれたようでした。。。

。。。と思ったら、彼のほうから逆提案。「1.-6.のサプライチェーンを全て買い取ってしまったらどうだ?」。ええっ、という全く想定外の解が飛んできましたが、実は6,500名を農民にして、ピーナッツバターやハチミツを作っているうちに、この企業、数億円の投資ならやる気になれば余裕でできてしまうくらい、現地の超優良企業になってしまっていたようなのです。高々百数十万円の赤字をどうするかで、シナリオ分析で相当頭を抱えていた我々には、まさに晴天の霹靂。そんなに投資できる資金の余裕があるなら、最後の丸1週間、分析の前提からして全く違っていたじゃないか、、、。事前にクライアントと仲が悪いと、このような基本情報すら共有されず、死にプロジェクトになる、ということを、身をもって体験することとなりました。


この2週間後、米国のクライアント本社に今回の話を電話会議で報告。本社の方も、まずは継続の方向で話が進んだこと、次に、想定顧客らと本レポートを元に建設的な議論ができそうなことで、とても満足していただけたようです。。そして何より、ザンビアの現場で何が起こっているのか全然知らなかったらしく、「初めて知ったことが一杯ある、48ページきちんと読ませてもらうよ」とのことでした。そして翌年、今年もIBDでこの同じクライアントでザンビアでのプロジェクトが取れたと知り、ああ、我々の仕事が果たせたのだなあ、という実感が沸いています。
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これにてプロジェクトの中身自体は記載完了ですが、25人ほどインタビューした中からの学びや驚き、そして上記に至る各ポイントで、中国人やインド人、パキスタン人のチームメンバーが、どれだけ協力的/非協力的な動きをしたのか、などなど、毎日カルチャーショックの連続だった部分については、また別の「文化」という記事でまとめられたらそちらで紹介できれば、と思います。
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by golden_bear | 2010-08-16 16:43 | IBD(ザンビアプロジェクト)

IBD成果報告会 - IBD体験記(7)

本日は節目となるイベントが2つありました。1つ目は、IBDの成果報告会。全20チームが1チームプレゼン15分質疑5分の計20分ずつ、朝8時から夕方5時すぎまでひっきりなしにプレゼンをし続けていました。下記に、一部ですが国別のプレゼンの様子を掲載します

アルゼンチン
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サウジアラビア
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エルサルバドル
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フィンランド
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ガボン
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ラオス
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チリ
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南アフリカ
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ガーナ
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リベリア
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イースター島
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全員スーツを着てプレゼンをしている理由は、今年実際に提案したクライアントや、将来のクライアント候補になりうる企業やNGO,NPOの方々に来場していただいたためです。

私のいるザンビア・コットン(&スネアウェア)チームは、特に何も表彰などは頂かなかったものの、下記においてとても目立っていました。

(Photo Contest)
各チーム5枚ずつ、旅行中に撮った写真を秘書の方に送り、良い写真が表彰されるコンテスト。我々の写真は上位3位には入らなかったものの、休憩中にスライドショーで15枚程度の写真が紹介されていたうち下記3つが我々の写真だったため、とても目立ってしまった。

ビクトリアの滝
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サファリ
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クライアントと打ち上げパーティー
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(プレゼン)
我々のプレゼンは最後の部であり、その前に他のザンビア2チーム、及び、南アフリカでコットンを扱っていたチームが、国や題材に関する説明をしていた。また、すでに朝からの長丁場でだれていたこともあり、他のチームが説明していないところ、及び、比較した際の違いに焦点を当ててプレゼンすればよかった。にも関わらず、30分近く、最も長いプレゼンになった。

もともと「笑いと涙を両方誘うような」構成に自然となっていた。笑いの部分は他チームがあまり経験しなかった内容(きちんとビザを準備したのに入国審査で捕まってしまう、夜にサファリの真ん中で電話会議、など)、及び他チームがあまり表立って言わなかった、クライアント本社と現地支社の対立の話を「その解決を提案に入れなければプロジェクトに意味がない」という形で表に出して説明するなど、他チームが話せていなかったことを強調した。このように強調して話すことが結構あったため、違いを際立たせようとしてかえって長くなってしまったことがある。

そして、涙の部分は、下記の写真。
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妊娠中の身で毎日朝4時から深夜まで綿花栽培と子供の世話に追われる、というザンビアの農家では良くあるが大変な状況の中で、プロジェクトにも我々のインタビューにも非常に協力的だったマチルダ夫人。「このアクティビティーは大変だけど、とても好きだし意味のあることだからやめないで欲しい」と訴えていた彼女が8月末、出産の際に突然亡くなった(子供は無事)という連絡を受けました。インド人のチームメイトが最後にこのことを取り上げ、「自分にも昨年子供が生まれ、子供を生む、ということは当たり前のことのように思っていた自分にとっては、この事件はとてもショック。当たり前のことにこそ、厳然たる格差が存在していることを深刻に受け止めた」。

そして、「身も何も知らない4人が偶然、突然3週間の共同生活をする。色々大変なこともあっただろうが、一緒に生きて帰ってきたこの仲間こそが一番の学び・財産というのは、参加した全員が同じ気持ちだと思う。ここにいる80名は皆、この同じ経験をした貴重な出会いを大事にし、できるだけお互い良い関係を続けていけるよう努力してほしい」という締めくくりに繋げたことで、会場の空気が大きく変わる。こういうメッセージに対する好き嫌いは個人差があるだろうが、全日程終了後に「彼の締めが一番良かった」と言っている人が多数いた。

自分自身、本日1回の収穫としては、
- 英語のプレゼンで3回笑いが取れたこと。1年前から考えると、大きな進歩
- もともと4分の予定が、調子に乗って8分程度しゃべってしまった失敗。(途中で飛んでしまい同じ部分を2回繰り返したこともある)
- そして何より、9時間プレゼンが続くという長丁場のなかで、80人が全員「私にとって」心に残る言葉を残していたこと。これは、ザンビアで似たような苦労をしたからこそ、彼らのスピーチを聞いて「大変そうだなあ」、「これは凄いなあ」、という感情が私に湧き出たことから、ザンビアは私の感受性を豊かにしたのだと思います。

上記インド人のスピーチ内容にも被りますが、同じ経験をした80人の仲間を大事にしたいと思います。また、本日このような形でまとめが終わり、来週末にチームでの打ち上げを経た後、ザンビアでの体験については、今後このブログでも少しずつアップデートして行きたいと思います。最後に、ここにマチルダ夫人のご冥福をお祈りいたします。
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by golden_bear | 2009-09-25 23:48 | IBD(ザンビアプロジェクト)


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