A Golden Bearの足跡


UC Berkeley Haas School (MBA) における、2年間の学生生活の記録です。
by golden_bear
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【最終回】「A Golden Bearの足跡」ベスト10

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写真は家に届いた卒業証書(注:中の証書のみ。額装は証書受領後に、日本で個人的にお願いしたもの)になります。卒業式自体は5月14日でしたが、9月下旬になって卒業証書が発行された旨の連絡を受けました。その後、小切手を大学宛に送ることで、10月上旬には自宅に証書が届きました。私の就職先の場合、卒業証明書原本のコピーがなければ本採用とさせてもらえないルールがありましたので、これを持っていくことで社員になると同時に、ようやく卒業気分を味わうことができました。

そして、ついにこのブログも最終回を迎えることとなりました。最後の記事として何を残すか、は、ずいぶん昔から決めていたのですが、私自身が在学中の2年間に得た経験の、独断と偏見に基づくベスト10になります。そもそも莫大なお金と時間を費やしてMBAに行くかどうかを決めたり、進学先をどの大学にするか決めるにあたって、最も重要な点は、できる限り「卒業前と卒業後の2年間のギャップを大きくする」ことでした。この点、映画「いちご白書」の舞台になる程、新しいことを始めざるを得ない校風に加えて、シリコンバレーが目と鼻の先にあるバークレーには、私がお会いした諸先輩方を見渡しても、行く前と行った後とで考え方や人生そのものが全く変わってしまった人が多かったのです。

実際私自身に関しても、今現在金融関係の仕事に就いているとは、入学前には周りの誰もが全く想像しないことでした。そしてMBAの2年間のアウトプットとして、この大きな変化が得られたこととはとても有難いこと。毎日大変ではありますが、日々新たな経験が蓄積される全く飽きの無い楽しい人生となっております。ちなみに、卒業後の状況については、もともと書く予定はありませんでしたが、卒業後も学びと変化が継続して発生していることを踏まえ、断片的ですが前回の記事に書ける範囲で記載しています。

このように、卒業後の生活は実際に入学前には全く想像がつかない世界になっているのですが、当然ながら、在学中にHaasで得たことも、事前に「こうだろう」と予想していたものとは、全く違うものでした。その経験そのものは既にこのブログでさんざん述べてきていることではありますが、私自身に2年間のギャップを発生させたトランジション・プロセスとして、もう一度Haasで得た経験のベスト10という形で並べることで、最後のまとめ記事と致します。ちなみにこのベスト10、草案自体は、卒業式の2日前である2010年5月12日にメモを取っていたものです。今見ると1つだけ順位が違う、と思うものがありますが、当時の臨場感を重視するため、当時の順位そのままを注釈付で残しておきます。


----- 独断と偏見による、作者が選ぶ「A Golden Bearの足跡」ベスト10 -----

第10位: MBAA(生徒会)への立候補
2008年11月頭の「敗軍の将、将を語る - 選挙戦を終えて」の記事にあります。ひょんなことから、立候補することになり、一生懸命スピーチを考え、落選の悔しさを味わうことに。この経験以前は、Haas MBAには人見知り気味に「お客さん」「評論家」モードで一歩引いて参加していましたが、この体験以後、バークレーという素晴らしいリソースを自分自身で最大限に有効活用するべく、様々なイベントを「主体的に」「積極的に人を巻き込んで」自分の目的通りに動かして行こう、という意識に明確に変わった第一歩でした。そして、MBAはリスクフリーに失敗できる場であり、むしろ失敗が称賛されることから、学生のうちに失敗できるだけ失敗してやろう、という気になりました。

最後に、これに出るに際してスピーチの授業が大変勉強になったのですが、その教官であったProfessor Billが、この1か月半後に出張先のマダガスカルで急逝されたことは、本当に衝撃でした。この場をお借りして、再度ご冥福をお祈りいたします。


第9位: Washington Campus
ワシントンDCの生態系(司法、立法、行政にかかわる、政治家、官僚、政策秘書、アナリスト、ジャーナリストなどなど)がビジネス業界とどうかかわっているかを1週間でみっちり学ぶコース。UC Berkeleyが州立大学であるからこそ参加・登録の機会に恵まれ、2009年1月にワシントンDCまで行って参加してきました。Washington Campusのカテゴリーに記事はまとめてあります。それまで政治とは全く縁遠い生活を送ってきた自分ではありますが、米国や中国で仕事をした際に政府機関との関わりが避けて通れなかったこと、また、日本の政治・行政システムがあまりにも酷いのではないか、と感じていたことから、米国の行政システムについて無性に学びたくなり、妻との旅行も兼ねて冬休みを返上して行ってきました。

結果、知らない国の専門外の制度について英語で学ぶにはさすがに敷居が高く、講義内容が100%自分の身になったとは到底言えないものの、次に同様のトピックについて考えなければならなくなった時の基礎知識くらいは身についたと思われます。また、この時同じチームを組んだメンバーと調査したBetter Place社について、後に別の授業でコンサルティング・プロジェクトをやることになるなど、すべては一期一会でつながっているのだ、という意識を新たにしています。


第8位: ゴルフ修行
趣味・生活のカテゴリーを眺めていると、半分くらいの記事はゴルフになっておりました。30過ぎの手習いとはいえ、さすがカリフォルニア。1年中驚きの安さでできることから、ゴルフをスタートする環境としてはもってこいでした。まだまだ初心者であり、引き続き一生練習していく必要がありますが、その出発点としてモチベーションを高めることに成功しました。


第7位: 中国語の修得
カテゴリー中国語学習に大体まとまっています。Haasの自由なカリキュラムを象徴するかのように、学部1-2年生向けの中国語コースに無理やりもぐりこんで習得。とはいえ、そもそも厳しい米国大学のカリキュラムの中で、最もアジア教育のレベルが高いUC Berkeleyの中国語。生半可な厳しさではありませんでした。日本の普通高校1年生が使う英語並には、中国語が叩き込まれたこと、教授と学生に感謝です。


番外編(1):10位以内に入らなかった経験
 思い出せばきりがないのですが、惜しくも10位以内に入らなかった経験もたくさんあります。卒業後半年たった後の視点で、ここに3つほど挙げてみます。

 ○ 旅行: カテゴリー旅行にて、西海岸ドライブ2回(2010夏・2008冬)、マウイ島、南カリブ海クルーズの状況はまとめられています。MBAの2年間には長期休暇のチャンスが何度かあり、世界中を旅する学生が多いです。ただ、私の場合は長期休暇中の活動はインターンを優先させており、授業でザンビアやワシントンDCに行ったこともあり、またバークレーにいること自体が旅行をしているようなものでした。あまり旅行をした感覚がないことから、Top10からは外れました。

 ○ C4C: 2年間の間には、興味の赴くままに、数多くのイベント・講演会に出席してきましたが、純粋に参加者・視聴者の立場として1つ印象に残っているものをあげると、このC4Cになるのでは、と思います。内容は西海岸の9大学のMBA対抗スポーツ大会なのですが、参加するためにボランティアを5時間しなければならない上に運営費として$60もかかる、行ってみたら想像以上に学生の参加者が多い(がそのほとんどが米国人)など、とにかく大がかりなチャリティーイベントです。Challenge for Charity(C4C) - 非営利活動への不純な動機C4C(Challenge for Charity)2年目に気付いたこと、に内容がありますが、米国ビジネスにおいてチャリティーが如何に重要な思想を占めるか、ということを身を持って思い知ったイベントです。

 ○ Haas Talent Show: 第1回 Haas Talent Show への出演第2回 Haas Talent Show: 留学中に芸を磨き表現する意義、と、2年連続で妻との連弾という形で出場させていただきました。仕事を離れて妻とともに趣味の世界に没頭する時間を持てた上に、400人を超す観客の前で念願だったRhapsody In Blueを演奏でき、さらにタレント揃いのMBA同期友人たちの技を見ることができた、素晴らしい機会でした。


第6位: 西海岸での就職活動
カテゴリー就職活動にまとまっています。日本向けにも米国向けも就職活動を試みたのですが、やはりリーマンショック直後で内定切りが相次いでいるような状況の中、米国企業数十社に対して面接のアポを無理やりセットしては落とされまくった経験は、その都度打たれ強くなる意味でも、英語で自分という商品を売り込む営業スキル向上のためにも、いまだに相当役に立っていることは間違いありません。


第5位: Haasでの通常授業
これは卒業式直前当時は第5位としていましたが、今なら第2位か第3位にしているかもしれません。学業というカテゴリーに概要が多数書かれてあります。日本に帰って友人たちと本ブログについての話になっていても、面白いと言われる記事はここのカテゴリーに書かれていることが多く、やはりMBAの価値は授業にあるのでは、と思い直している所です。5月の卒業直前当時に残したメモには、「特にアントレ系(VC&PEなど)、ファイナンス系、コンサルティング・プロジェクト系の授業群は、素晴らしい」とありますが、今仕事の役に立っているのは、OB(Organizational Behavior)系とイノベーション・MOT系になり、将来的に変わってくると思います。いずれにしても、授業中に四苦八苦して考えたり、他の学生と議論したりレポートにまとめた経験は、様々な機会で自分の生き方に影響を与えていくことでしょう。


第4位: インターン
インターンの内容については、あまり公にできないことも多いため、少しだけインターンのカテゴリーに記事があるにとどまります。夏休みの日本でのインターン、夏から秋にかけてのシリコンバレー・スタートアップでのインターン。その他全く記事には出てきませんでしたが、私費学生という立場を生かして単発で引き受けた仕事も、3つほどありました。計5つの経験は全て今につながっており、米国で行った4つの仕事で当時調べた内容が、1-2年たって今の仕事役に直接役立っていることもあります。いずれにせよ、グローバルなビジネススキルを上げるには、働いてみることが一番で、それをシリコンバレーでできたのはとても良い経験でした。


番外編(2) やりたかったがあまりやれなかったこと
Haasが提供する授業やイベントの機会を全て取ろうとすると、単純計算でおそらく6年くらいかかると思われます。Ph.Dコースにいれば満喫できるのかもしれませんが、MBAとしては2年で社会復帰しないと現場の勘が鈍るため、どうしても取捨選択する必要があります。下記に、経験できなかったことの例を並べておきます。

 ○ 取れなかった授業: ほかにも取りたい授業はいっぱいありましたが、ある授業は人気が高すぎてオークションで落札できず、別の授業は時間がかぶっていたり、私が忙しすぎて取れなかったものも多数あります。

 ○ Certificationの取得: MOT系、あるいは、アントレ系の授業を、指定された形でまとまって取ることで、その分野のCertificationを受けることができたのですが、私の場合ちょうど興味がファイナンスとアントレとMOTの3つにまたがってしまったため、何かのエキスパートになるような授業の取り方になりませんでした。まあ、Certificationがあろうとなかろうと、ビジネス上で何かの第一人者になるには、MBA以降の研鑽が益々重要となってきます。

 ○ 行けなかった行事・旅行: 興味をひかれるイベントが一日に2つも3つも重なるため、出席できなかったものも多数。特に、まとまったところでは、学生旅行。我々がJapan Trekを企画したのと同様に、イスラエル、ブラジル、コロンビア、ベトナム、ペルーなどに行っているグループがあったのですが、そこへの参加が全くできなかったのが、少々惜しまれるところです。


第3位: グループ活動とその結果としてのネットワーキング
必修授業のスタディグループに始まり、選択授業の大多数、各種コンペティションやクラブ活動など、この2年間はとにかく様々な仕事に関係ないグループ活動が行われました。その中で、最初はチームにどう貢献するかお互い試行錯誤しながらも、3か月のプロジェクトが終わる頃には、結果を出し終えた同志としての連帯感が生まれます。そして、240人という狭いコミュニティーの中では、「あいつはXXのテーマには使える/使えない」という評判が広まり、結果が次のチームを授業にも授業外にも、ひいては自分の就職活動にも影響するような形で形成される、という循環の連鎖が出来上がります。

社会人になって、仕事上の関係以外に、自分の興味と実力を頼りに出来上がったネットワークというのは、一生の友が生まれる非常に重要な機会でした。そのネットワークを生むイベントとして、代表的なものを下記いくつかの記事やカテゴリーでまとめています。

○ Asian Business Conference: アジアに強いバークレーというインフラを生かして、実は日本人でありながらアジアについてあまり知らない自分にとっては改めて勉強しなおすとともに、数百人規模で時間ぎっしりの会議を企画・運営する非常に有意義な経験ができました。この時に構築した人間関係については、未だに1歳下の運営幹事から問い合わせを受けたりして、関係の継続を感じています。概要はABCカテゴリーにまとめてあります。

○ M&Aケースコンペティション: 卒業直前に飛び入りでEWMBAの方々のチームに飛び込んだ経験。M&Aコンペというカテゴリーでまとめています。

○ UC Berkeley Business Plan Competition: 2009年春に、ブラジル人経営者、イスラエル人弁護士、カナダ人投資銀行出身と私のチームで出場するも、準決勝敗退。ビジネスプランカテゴリーに概要あります。

○ Japan Trek: Japan Trek 2009 まとめと振り返りの1記事にまとめて書きましたが、この、グローバルの同期学生に対して日本の何を訴えるか、という一大プレゼンテーションを設計・運営した経験は、日本人としてのMBA生活のハイライトだったと思います。

○ JGRB: JGRB 新入生歓迎パーティーからの学びJGRB 立ち上げの舞台裏と振り返りの2記事で書きましたが、世の中に無いサービス・団体をゼロから自分で立ち上げてみて、自分でした苦労や関係者をその苦労に巻き込んだことは、まずそのこと自体が貴重な経験でした。そしてその結果として、バークレーのみならずベイエリア全体でつながった様々な方との関係は、帰国後も続いています。また、この団体は進化する形で継続しているようで、創設メンバーとしては嬉しい限りです。幹事をしていただいている後輩の皆様に感謝するとともに、今後も様々な形でバークレーのコミュニティーから面白いネットワークが生まれることを期待します。

他の形でも、ネットワークが発生し形成され分散する過程は学校のイベント学校以外のイベント、のカテゴリー中に、様々な形で書かれております。ここで関わったすべての方々に、この場を借りて、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


第2位: IBDのザンビア紀行
上記第10位-第3位までの経験は、きっとMBA生であればどこのビジネススクールに行っても、多かれ少なかれ誰かが経験しているような話です。しかし、ここで挙げたIBDのザンビア滞在1か月間の経験に関しては、他のビジネススクール、あるいは、他のHaas学生にはない、私自身固有の経験だ、と堂々と言えるものです。このため、第2位に挙げた上で、卒業後半年にわたり、IBD(ザンビアプロジェクト)カテゴリーにて、大切な自分自身の記録としてまとめています。今の仕事の何に役立った、ということは具体的にはありませんが、30年後の視点を想像して一番役立っている経験になっている予感がしている、とにかく固有の体験でした。


第1位: ベイエリアでの生活
最後に述べる第1位は、皮肉にも私自身が最もブログ上で表現していない、ベイエリアの生活そのもの、です。冒頭でもいちご白書の例を挙げながら、「バークレーは特殊な土地である」という書き出して始めたこの記事ですが、世界中でこの場にしかないと思われる、人を知的に明るくハイにさせるような特別な空間があるのです。こればかりは来て実際に2年間を過ごした人にしかわからないのですが、強いて言えば、社会・風土のカテゴリーを見ていただければ、その一端を垣間見れるのかもしれませんが、とにかく私のブログ・稚拙な文章では全く表現できるものではありません。

もう一つ別の視点で、私がベイエリアの生活をうまくブログに表現できなかったのは、他に素晴らしいブログが一杯あるからでもあります。例えばUC Berkeley Haas MBA 日本人Websiteの在校生、あるいは、UC Berkeley関係者の奥さまのリンク先を見ていただいた方が、感覚が伝わるかもしれません。

そして、何よりも生活というテーマは、2年間を共に過ごした妻の存在抜きには語れません。当初は米国嫌いだった妻が、最初はさして興味を示さなかったバークレーという土地で、実際に2年間過ごす中で、様々なことを感じ、試して実行し、私以上に素晴らしい経験や実績、ネットワークを築いている。この妻の新たな一面や成長に驚き、またその時間を共有できていることが、非常に私自身の勉強にもなった2年間でした。改めて、人間は一人では生きていけず、そしてその生きる場として様々な意味で最高の環境が整っているバークレー、ベイエリア、カリフォルニア、という土地そのものを、我々夫婦にとっての第1位としています。

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本日は2010年12月31日。思えばMBAを受験すると決めたのが2007年の元旦。ちょうど丸4年の歳月が過ぎたこの日にMBA生活を振り返っていると、本当に様々な方々の支えがあって留学が成り立ったのだ、という事実とともに、感謝の気持ちで一杯になっています。留学前には、そもそもMBAに行くべきかどうかの相談をさせていただいた人生の諸先輩方、忙しいプロジェクトの最中にMBA受験準備の時間を割くことを許していただいた元チームメンバーの方々、莫大な時間をかけて快く推薦状を書いていただいた元上司の方々、Haas以外にもキャンパス・ビジットで説明頂いた各校在校生の方々、Toefl/GMATの攻略やエッセイを共に考えた予備校・カウンセラーの方々などなど。留学の2年間においては、書ききれないほどたくさんの人がいますが、共に時を過ごした同期・先輩/卒業生・後輩やそのご家族の方々、教授、スタッフ、地域や旅先で知り合ったり再会した方々、インターン先でお世話になった方々。そして、この留学を金銭的その他さまざまな形でサポート頂いた私と妻の両方の両親と、4年間ずっとハラハラドキドキしっぱなしの生活についてきてくれた妻に、本当に感謝いたします。

最後に、このブログを訪問し、少しでも文章を読んでいただいた全ての方々に、この場をお借りして、感謝いたします。バークレーで2年間を過ごした一人の学生の記録から、何か新しい発想やネットワークが生まれることを期待して、ここに筆を置くことと致します。今までのご意見やご声援、本当にありがとうございました。

A Golden Bearの足跡 完 
2010年12月31日

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# by golden_bear | 2010-12-31 23:52 | 全般

卒業半年後からのMBA振り返り(後編)

前回記事「卒業半年後からのMBA振り返り(前編)」の続きです。前回は下記(1)-(3)について書きましたので、今回は(4)‐(6)について記載します。

(1) 前提
(2) MBAに行って良かった点
(3) MBAに行って大変になった点
(4) 良し悪しはわからないが、MBAに行ったことで具体的に変わった点
(5) MBAに行っても大して変わらなかった点
(6) 学びその他雑感

(4) 良し悪しはわからないが、MBAに行ったことで具体的に変わった点
MBAを取得して変わったことを一言でいうと「外部環境」ですが、具体的に3点ほど書いておきます。

・ より高度な組織問題に自然に直面するようになる
これは卒業後に会った何人かの同期MBAホルダーの人々が軒並み経験していることのようですが、転職した人はもちろん、社費派遣で元の会社に戻った人も以前とは違う部門への配属となることが多いようです。そして、全く知らない上司や業務の中で、勉強しながら新たに社内や顧客との関係を続ける中で、大変な思いをすることは少なくないようです。

私のケースでも、研修後最初の数週間で早くもいくつかの組織的な課題に板ばさみになりました。敢えて大げさな表現をしてみると、2週目で自分自身すぐに転職せざるを得ないリスクを背負うピンチを招きました。さらにその翌週、私の裁量次第で部下を最悪解雇せざるを得ない判断を行う必要があり、その2週間後にはまさに倫理の授業で学んだような「利益面or倫理面」のジレンマに陥る。最近も以前の自分あるいは普通に考えたらYesというだろうという状況において、断固Noと言ったりして、よくまあ入社数か月でこんなこと言うなあ、と自分でも驚いています。偶然の要素も多いとはいえ、まだ業務も完全にわからない新入社員の状況でこんなに政治的な判断をする必要があるのか、と思いますが、これこそまさにMBAホルダーだからこそ経験しなければならない(or昔ならそもそも問題と気づかず突入し地雷を踏んでいたかもしれない)世界なのだろう、と考えています。

・ 「自分株式会社」という意識の飛躍的向上
上記のようにポリティカルな面で危ない橋を渡らざるを得ないこととも関連していますが、良くも悪くも頼れるのは自分の腕一本。責任は全て自分自身で取る、という意識が格段に向上した/せざるを得ない環境にあると思います。以前は人事制度にしてもキャリアパスにしても、最初に新卒で就職した1社の枠内でしか考えられなかったのですが、今は少なくともMBAの視点、新しい会社の視点の3点から見ることができます。このことは、自分の日々の24時間はじめ、週単位、月単位、四半期単位で何をして生きるか、という自分管理の考え方をより多面的に強固にしますし、その中で仕事と家庭の両立や、仕事が本当に忙しい中でどういう仕事以外の外部イベントに顔を出しておくか、といったすべての判断軸に大きく影響しています。

具体的なアクションとして変わったことは、例えば下記のようなことがあります
-(2)で書いた「どんなに忙しくても、毎日1時間、絶対に自分の長期キャリアパスを考える時間を確保すべき」の実践
-(3)で書いた「使える人材かどうかは、入って最初の(3日、1か月、3か月、半年、1年半)も経てば、ばれてしまう」に対して、自分でどういうPDCAを回すか
-普段からヘッドハンターとの関係を密に構築しておく
-お金の使い方:以前に比べ例えば、自腹の交際費が大幅に上昇。また、移動しやすい場所を得るための家賃、書籍等情報料、保険や健康関連の出費が増大する一方、これらに関係ない費用は低減

一見偉そうなことが羅列されていますが、よく欧米人のエグゼクティブがセラピストを雇う理由がわかりつつある、と感じるとっても窮屈な生き方です。とはいえ、今の環境ではこうした方がしないより良く、これは不可逆変化ですので、良し悪しはともかく続けてみたいと考えています。

・ Haas/MBAグローバル・ネットワークの構成員に
敢えて(2)の「良い点」にも分類した内容ですが、(4)の「変化」にも改めて定義したいと感じています。その理由は、まず私自身まだネットワークを最大限には有効活用できていないと感じること。「MBAをとっても日本人だけで固まっていては何にもならない」、とよく言われるように、単にMBAを持っていればネットワークができる、というのは大嘘です。既に(2)で書いたような具体例が毎月あるにしても、最大限広げているか、利用しているか、ネットワークに対して貢献しているか、という点で、私自身まだまだ足りないなあ、と思うことは多いです。

次に使い方を間違えると面倒な問題を抱える可能性があること。もちろんMBAのネットワークはとても閉じた世界ですが、どんなネットワークにもあるように、外部からアクセスしたい人はいくらでもいますし、内部で利害関係が生じることもありえます。良くも悪くもネットワークに付きまとう諸事情の管理は、半ば強制的な責任・義務のようにのしかかってくるものだなあ、と思うことがあります。


(5) MBAに行っても大して変わらなかった点
極論すると大して変わらない点は「私自身」です。(4)で変わった点を「外部環境」と定義したこととは対照的です。ここでは、3つの例で書いておきます。

・ MBA以前からの人生の積み上げの重要性
新しい仕事について、職種は完全に変わったのですが、担当業界や仕事のやり方は、前職での経験、及び、MBAにいたシリコンバレーにおける学びが、無意識に相当反映されてしまいます。簡単な例では、現在東京オフィス中に直近2年ベイエリアに住んでいた人は私しか居ない。従って、ベイエリア/シリコンバレーで学んだことが生かせる分野の仕事が自然と回ってきて、その分野であればたとえ未経験でも自然とリーダーシップを取れる、といったことが普通に起こります。他にもこのような事例は枚挙に暇がなく、結局、MBAをもってしても過去と将来は切り離せず、全部つながっているようなのです。

・ 箔
MBAという肩書自体には何も意味がない、というのは本当のようです。例えば、名刺にMBAが書かれることはないし、今まで顧客との会話上MBAホルダーであることが話題になったのは、ある接待で部屋の中にいた全員がMBAホルダーだった時のただ1回だけだったからです。これは、話題のレベルとしては「出身地どこ?」と同じ程度にしか価値がないので、全然費用対効果がありません。さらに、単にMBAというだけでは本来ポテンシャルとして増えるネットワークも全然増えないです。やはり前章(4)で書いた通り、MBAの2年間での「共有体験」や「ネットワークの生かし方の経験」には価値があるのですが、MBAそのものにはあまり価値はない、と今のところ考えています。

・ 知識・能力
知識そのものも(2)で書いた通り入門編としては必要十分なのですが、それ以上難しいことは現場とかけ離れてしまうので、直接仕事で役に立つことはあまりないと思います。上で書いたようなシリコンバレーの知識も、卒業後半年は使えたものの、もはや陳腐化が始まっています。また、この前日銀の研究所から米国の経済学修士(/Economics 。経営学修士/MBAではない)に留学した友人と議論した時、彼のEconomicsの知識と実践力はMBAで習うレベルをはるかに超越しており、専門知識を深めて仕事に生かしたいならMBAではなく他の専門学部で勉強すべきとの理解を一層強くしました。

残念ながら英語力も日本に帰って来たら一瞬で衰えました。ただ、発音の矯正等はあきらめるとはいえ、知識にしても英語にしても、それらをMBAの2年間で使う場数を踏んだことは、確実に生きています。これからもゴルフ同様に一生継続して場数を踏み続けることで、少なくとも生き抜くことはできるのではないか、という実感はあります。


(6) 学びその他雑感
最後に現時点で感じていることを、(2)-(5)のまとめやそこに分類できなかったことも含め、ざっくばらんに箇条書きしてみます
・ (2)から(5)を要約すると、今のところMBAで
― 得られたものは、使える判断軸・転職準備に必要十分な知識・学びの方法・アジア人としてのネットワーク形成のマインドセットと実行力
― 大変になるのは、置かれる境遇・学問と現実世界とのギャップ・2年の歳月・若さを失う・ゆったり人生になること
― 変わるのは、嫌でも目線を上げさせられる・自己責任を強要される・ネットワークの中に置かれること
― 変わらないのは、自分の過去・箔・知識・能力
・ 多くの人が、授業中では全く役に立つまいと思っていたOB(Organizational Behavior)系の授業は、早速役に立ちまくっている。授業中には「薄い議論だ」と思っていたが、瞬時に様々なことを判断するには、その程度でも十分使いやすい
・ 極論すると、MBAは、最大2年間の履歴書を傷つけずに顧客や上司から離れる権利と、合法的にその土地に学生という肩書で居住できるビザ、そしてその大学という場に集まった人を含む資産に自由にアクセスできる権利、の3つしか提供しない。この3つを、数千万円ではとても買えない凄い価値があるものにできるかどうかは、選んで使う本人次第
・ MBAを取ると決めてしまったからには、MBAにいる間には、MBAという場でなければ得られないものを得られるだけ得ておくべき
・ 結局、MBAを取った後のメリットは確実にあるので、降りかかる大変さや変化を楽しんで生きていくことができるかどうかが重要。それには、そもそも自分にFitするMBAを選べたか、MBAそのものをどれだけ存分に楽しめたか、が重要

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いよいよ次が最終記事。本記事では卒業後半年を振り返りましたが、最終記事では目次のようにMBA時代の2年間を再整理再構築して、完結とさせていただきます。
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# by golden_bear | 2010-12-27 00:10 | 全般

卒業半年後からのMBA振り返り(前編)

早くも卒業後7ヶ月が経過、本格的に働き始めてからも3ヶ月半が過ぎてしまいました。必修のマーケティング授業最終講義で書いた、「2年後の自分に送る手紙」がそろそろ家に届いているころなのですが、この前の日本人同窓会で、同期の約半数には届き、私含む残り半数には届いていないことが判明。このいい加減さがバークレーっぽい、と懐かしむ今日この頃です。

上記のマーケティング授業に限らず、卒業後数か月経った時点でMBAの2年間を振り返ることの重要性は、在学中に何度となく警鐘されていた気がします。明示的には、例えばPower and Politics講義の最終レポートでは、「就職3ヵ月後の自分に降りかかる組織力学上の困難を定義し、それに立ち向かう方法」を論ずることが1つの課題でした。教授にも色々な方がいましたが、ご自身の最終講義のスピーチで、卒業後の生き方について何も触れない人は少数派。さらに大学のスタッフの方まで、「卒業後3ヶ月以内に就職した学生の比率」が各種雑誌によるMBAランキングの評価指標になっていたり、大学に寄付金が欲しかったり、などという野暮なことは関係なしに、在学中も卒業後も親身になって様々な相談にのってくれます。

私自身に関しては、この数ヶ月間の間に、周りの環境、自分自身のスキル、諸事に対する感じ方などは、MBA以前の自分とは大きく変わったと感じています。また、思ったより変わっていない点もあり、それもまた面白い点です。MBAブログ内で卒業後について書いている人はあまりいないのですが、自分自身の反省も含め、ざっくばらんな箇条書きの形で、このタイミングで書き残しておこうと思います。MBAで学べることは100人100色であり、あくまでn=1であることから、前提も含めて下記6部構成を取ることにし、前編で(1) - (3)を、後編で(4)-(6)を記します。

(1) 前提
(2) MBAに行って良かった点
(3) MBAに行って大変になった点
(4) 良し悪しはわからないが、MBAに行ったことで具体的に変わった点
(5) MBAに行っても大して変わらなかった点
(6) 学びその他雑感

(1) 前提
バックグラウンド等、(2)-(6)を述べている前提について、最低限の内容を書いておきます

 ・ MBA以前の私
日本生まれ日本育ち。工学系修士卒後、コンサルティング・ファームに5年半勤める。仕事3年目に1年間の米国駐在が初の海外長期滞在経験

 ・ MBA取得の目的
当初は、グローバルビジネスの世界に通用する人材を目指す純粋なスキルアップが目的。しかし最終的に私費留学としたため、2年かけて、次にどんな職業を選ぶべきか、その後30年どう生きるか、をゼロベースでじっくり考えなおす場に

 ・ MBA中の私
このブログそのものですが、印刷すると数百ページになるそうですので、上記目的に照らして簡潔に
  - 1年目「自分探し」: そもそも自分は何が好き/嫌い、何ができる/できない人間かを知るため、敢えて元々興味のなかったことを含めて、極力浅く広くトライ
  - 2年目「自分探し結果の刈り取り、ただし幅広く」
   1.学問では短期的な弱点補強と長期的な興味の追及の2つに均等に重きを置く
   2.グローバルの実戦経験を積むため、各種短期インターンやクラブ活動に(普通1年目の人がやることに)今更力を入れる。
   3.家族の時間と実益を兼ねた趣味として、旅行、ゴルフ、中国語の習得

 ・ MBA後の現在の私
グローバル金融機関の東京事務所勤務。職種については、敢えて定義するのであれば法人営業。


(2) MBAに行って良かった点
MBA中に「良かった~」と思う点は過去様々書いているので、MBA後にMBAに行って良かった点を書いてみます

・ 自分の中でぶれない判断軸が、様々なレイヤーでできたために、迷いや不安なく判断が素早くできるようになった
MBAを経た結果、自分が何をしたいがために、何をしている、何ができる人間なのか、ということが、MBAの人が使う共通言語の概念を持って、8-9割方はブレない形で定義できるようにできました。こんなものまさか定義できるとも思っていなかったので、定義できたことだけでも十分うれしいです。が、さらに副次的に、諸事に対する判断が早くなったことは、明確なメリットになります。

例えば仕事においては、日々自分の業務の中で何をして何をしないか、どこまでは自力で考えてどこからは他人に聞くか、どういう人にはオフィシャルにあるいは裏からコミュニケーションをするか、など、を考えて判断するスピードが飛躍的に上がりました(その成功確率まで上がったかどうかはわからない)。また、日常生活でもお金や時間を何に使って何には使わない、という判断の仕方が、MBA前後で大きく変わった気がします。この点に関しては、私費で2年間無収入だったが金がなくても精神的には裕福、というカリフォルニア生活を経た要因が大きいと思われます。

言い換えると、「想定内が増えて、想定外を楽しめる」ようになりました。授業で様々なケースを解く、日米インターンの経験、ザンビア含めた各種チームワークなどなど、単純に場数をこなしただけでも、全く新しい環境で何が起きてもあまり動じることなく、物事を処理できるようになったと思います。

・ 十分な準備期間をかけて最低限の知識武装を持ったうえで実戦に臨めた
MBA前にもよく「MBAで習うことなんて、実戦では使えないよ」とは言われましたし、授業聞きながら少なくとも前職でやったことあることに関しては「議論が浅いなあ」、「そんなこと学者が言っても現場は動かないだろう」と思ったりしていました。実際、MBAで教えていることは、概念に立ち戻って幅広い人に通じる一般論ですので、個別の実戦で肝となる部分がそぎ落とされている入門編の議論にならざるを得ないことは確かです。しかし、その入門編の包括的な知識は、私が実行したような全く土地勘がない業界への転職に対しては、非常に良い準備となっています。

そもそも、実務で必要な知識は実務で学ぶことが一番。Haasの場合1単位は28時間の授業に相当するのですが、28時間は社会人換算では2日分。授業中に実務と同じことをやっても全く価値がない。従って、極論すると、MBAの授業ではファイナンスであればエンジニアにでもわかる(その逆も然り)レベルまでしかやらない。通常は授業内でそれ以上に深掘る意味はないのです。しかし、そのレベルであっても、様々な授業やゲスト・スピーカーのスピーチ、インターンやケース/ビジネスプランコンペなどのイベントの中で、2年間という長い時間軸の中で視点を多様に変えながら、繰り返し学べるところに価値があるのだと思います。

このような体験を得た後に、入社して数か月経って、MBAで学んだ概念や理論は、その概念・理論のレベルにおいては現場でも全く同じである、直ぐに役立つことにまず驚きました。その上で、実務ではMBAレベルで止まっていては全く付加価値がありませんので、全然深い所まで調べ上げたり計算したりしなければならないものが多い。さらに、現場では最先端の理論は使えないとされていることなども含めて、実戦で新たな学びが継続する楽しい日々とモチベーションに繋がっています。また、実務でどうしても詰まって判断がつかなかったときに、どこかで教授が言っていたことや宿題の中で考えていたことが頭に残っていて、紐解く手掛かりになっていたことが、3か月の間に5-6回はありました。2週間に1回くらいの頻度とはいえ、ほかの経験や論拠のない私にとっては、十分役に立っているといえると思います。

・ 学び方、特に先人の残した言葉からの学びが進化した
例えば、前職で新卒1年目の時に、仕事がとてもできる先輩に、「どんなに忙しくても、毎日1時間、絶対に自分の長期キャリアパスを考える時間を確保し実践すべき」、と言われていた。当時は「何でそんなことをする必要があるのか?やれと言われて1時間も考えるネタが持たない」、と思っていました。が、今は、私自身それを自然と実践してしまっています。

うまく言葉にしづらいのでたとえ話ですみませんが、要は「昔は意味わからず聞き流していたことで、私の場合MBAという場 (and/or転職) を経て初めて、非常に意味を持ってきているものが多い」ということです。中学校の国語の先生に、「この教科書の文章なんて今は全く面白くないだろうけど、多分20歳過ぎたころに読み直すと、涙が出るよ」と言われたのですが、それが仕事・人生バージョンでMBAの2年間のおかげで中学生から20歳になったイメージです。もちろん純文学なんて読まなくても生きていけるのと同様、生きていくために不可欠なものを得たわけではないですが、少なくとも学び方・学べるものを少しだけ超えた生き方・生きれるオプションが変化しより広がったことに関しては、MBAで得たものと考えてよいかと思っています。

・ グローバル社会の一員としての、ネットワークの広がりと深み
MBAで得るものとしてはネットワークが最重要、と考える人が多いようです。私の場合MBAでネットワークは実際にとても広がりましたし、既にその効用を実感するメリット、また単なる繋がりを得るというよりはそれを得て自分の行動がどう変わったかのほうが重要だ、と感じています。具体的に、メリットおよび私の行動が変わった点を書くと、下記のようになります。

- MBAのアラムナイ・イベントが毎月のように発生
例えば9月にはTesla Motorsのアジア支社長が講演会を開催、11月には某企業元支社長の講演会にて直接お話を聞く、さらにMBA出願者向け説明会もあり、プチ・アラムナイパーティーに。12月にクリスマス・ランチ、今後も1月にイベント1つ、3月にJapan Trekの飲み会と、本当に毎月のようにイベントがあり、自分の会いたい方々に会うことが可能です。

- MBA時代の友人が外国から毎月のように訪問
例えば8月末にタイ人のクラスメートが親を連れて訪問、10月にMOTの授業を一緒に取った工学部Ph.Dのご夫妻、11月に韓国人クラスメートなど、これまた毎月のように外国から東京にビジターがあります。このほか当然同期日本人だけで飲むこともあり、一生の仲間と飲む機会には困りません

- 東京でなくアジアに戻ったという実感と動き方: 
グローバルの入社研修で仲良くなった同期MBA入社の中国人が、11月末に香港で結婚式を挙げる、というので、何のためらいもなく有給を消化し妻とともに香港へ。すると、その日たまたま香港には、Haasの1つ上の世代の日本人が1人、2つ上の日本人が2人集結していて、軽いHaas Reunionが裏で開かれていた。これには出席できなかったものの、翌日や翌々日に香港駐在の方々といくつかランチやディナーをセットし、色々な現地の動向を聞けました。

このように、香港で多数の人と会う機会を自分からセットするマインドセットや、実際に気軽に行ってしまう、ということは、MBA以前には起こりえなかったことと思います。


(3) MBAに行って大変になった点
MBAに行って必ずしも幸せになった人ばかりではないことは、様々なレベル・期間の様々な形で見聞きしていたので、ある程度覚悟はできていました。が、まだ本格的に働き始めて3か月半という段階でも、大変だと思うことが多々あります。在校生によく「MBAにいるうちに準備しておくべきことは何」と質問されますが、「これらの大変さを楽しいと思えるためのあらゆる準備」と答えたくなるのが、今の正直な心情です。

・ MBAを経た後の中途の処遇の大変さ
転職プロセス、という視点で考えると、私が経た「業務に移る前に、MBA2年間、インターン、在学中入社前研修、および入社直後にオフィシャルなトレーニングがある」は、単に転職した場合と比較すれば、恐らく最も「転職者に優しい」、「新卒に限りなく近い」部類のものだと思われます。しかし、それでも尚、「中途入社」の厳しさを感じることが多々あります。

組織によって程度の差はあれ、生え抜きが大事にされる、能力・実績の無い人にいきなり良い仕事は回ってこない、といったことは、世界中どこでも一緒と思われます。これらに加えて、MBAを経た、ということだけで、例えば「あなたにはこんな仕事簡単すぎますよね」といった形で、先方の期待値が上がる。(あるいは、例え話で書いたこの言い方は、実務経験ゼロの私にはできないことが分かった上で、敢えてされてしまうこともありえます)。このように、最初はとにかく「お手並み拝見」モードにならざるを得ない。

従って、最初にやることはいわゆる「社内営業」の日々。ある時は思いっきり背伸びして「できます」と言って、徹夜で調べて何とか間に合わせたり、また周りの席の人々や上司・部下に頭を下げまくって色々と教えてもらったり。前職だと30分くらいでできたような作業に3時間かかる位、社内ルールになれない中、またコンプライアンスに関する点など前職と違う点を無意識に間違え頭を下げる日々。

このような下積みを経ても、経験豊富な生え抜きの人々に比べると、実務のスキルレベルが短期で追いつくことはありえない。従って、よく採用側の理由に言われる「MBAの人には生え抜きの人に無いものを持っているから採用する意味がある」から自分に鑑みて、実際にそんなものなかったとしても、そう証明して見せなければ、いい仕事が回ってこない→スキルがつかない、という悪循環にすぐはまってしまいます。「使える人材かどうかは、入って最初の(3日、1か月、3か月、半年、1年半)も経てば、ばれてしまう」(カッコ内は時と場合に応じて言い換え可能)とも言われますが、そのフィルターに照らし合わせてどうなのか、常にラーニング・カーブとタイム・リミットに終われる戦いの日々なのです。

・ MBAで学べることと実業のギャップ
(2)で述べた良かった点の裏返しになりますが、やはり実務上MBAが全然カバーしていない領域について、入社後ゼロから学ばなければならない点は多々あります。全く知らないことに関して、勉強のきっかけがつかめない&スピードが遅いだけならともかく、顧客や他部門、自分の部下をMBAホルダー=管理者としてマネージしなければならない。これは、一発でプロジェクト/会社から外されるリスクを背負う意味でも、とても大変です。

・ 2年分の若さを失う
MBAで2年使ったこと、かつ未経験の他業種に移ったことから、生え抜きでMBAにも行かずに頑張っている人に比べて、職位上は最短距離で来た人に比べて数年分、余分に年を取っていることになります。具体的には、私の直属の部門で1つ職位が上の上司は全員年下だし、2つ上の職位の中にも同年齢の人がいるくらいです。私の場合は、前職時代に年上の部下を指導したりした結果、「もう少し年を取ろうかな」と思って自分で選んだ人生であり、さらにインターンで気が合う人々ということを確認できた上で選択した進路であるため、上司が年下という点はあまり問題にならないです。が、この環境は人によってはつらいと感じる人もいるかもしれません。

逆に想定と違ったのは、体力面。MBAで丸2年休憩を取って多少若返ったとはいえ、実際に若者に混じって毎晩夜遅くまで働くと、体力的なハンデはあるのだなあ、と改めて実感。やり方そのものを考え直さなければ、と真剣に頭をフル回転させる日々です。

・ ゆっくりした人生にならざるを得ない
MBA自体は2年間ですが、その準備には最低半年~数年かかります。そして、MBA取得すべてにかかわる出費を貯金しておけば、良いアイデアさえあれば十分起業資金にもなりうるでしょう。私の場合はMBAに行こうと決意して準備を開始したのが2007年1月、この文章を書いているのが2010年12月ですので、丸4年の時間を経ているわけです。

この2007年‐2010年の4年間、世の中はリーマンショックなど大幅な変化がありましたが、元同僚や友人達を見渡しても、軒並み、昇進・転職・起業のうちどれか1つは経験しています。また結婚や出産はもちろん、ゴルフはじめ様々な趣味を極めていたり、新興国や中東などで活躍していたり、など、「もしMBAに行っていたら起こりえなかった」人生のステップを着々と進めている人々も一杯います。

このような友人たちに鑑みると、私の取った「MBAを取得し、MBAを生かしたMBAならではの転職を実行」というのは、現時点の時間軸ではスローペースと考えざるを得ないと思います。実際いろんな方に、「いろんな経験を広く浅く積んでいるようだけど、結局何をやりたいの」と聞かれますし、それに対する答えがある程度あるとはいえ100%明確になっているわけではない。こんな状態では、極端な話、新卒で投資銀行・コンサル・プライベートエクイティファンドなどのプロフェッショナル・ファームに入り脇目も振らずに前だけを見てパートナーに昇進した30代前半の人々、あるいは20代で起業して今まさに一刻も早く会社を大きくしようと頑張っている人々から見ると、なんとスローな人生か、と思われざるを得ないでしょう。

競争社会の中で時間は後戻りできない以上、このゆっくりさがハンデになってしまうならそれを克服し、むしろメリットとなる土俵を自分で作る生き方を選ぶ必要がある、という意味での大変さを感じます。

(後編に続く)
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# by golden_bear | 2010-12-26 23:59 | 全般

IBD体験記(16:完) 携行品とおみやげリスト

ついに本ブログにおけるザンビアのIBD体験記も最終回を迎えました。IBDのカテゴリーをクリックしたときに、この記事が一番最初目に入ることを考慮し、最後に実用的な内容を持ってきました。ザンビアに限らず、IBDや旅行で開発途上国に行くときに、物理的に何を持っていき、何を持って帰るべきか、という話を、私の事例を基に反芻してみます。

携行品について

毎年やってる授業なので、ある程度ガイドやマニュアルのようなものが配られるのか、と思いきや、予防接種(「ザンビア行きに必要な予防接種とは:IBD体験記(2)」に記載)以外は、全くなし。「特にビザに関しては、去年同じ国に行ったチームに聞いておくと良い」、と言われるだけで、ここから自分達で考えろ、というスタンスでした。今思うと、このオーガナイズされなさっぷりがバークレーっぽい、という側面もありますが、確かに毎年行く国やプロジェクトが全く違う中で、下手に「これ持っていけば大丈夫」と言って、大丈夫でなかった場合に訴えられるリスクがあることを考えれば、教授/大学側の対応としては妥当な気もします。

で、我々のチームが取った策は、下記2つ
(1) Google Docsの活用: マネージャー役を買って出てくれた中国人が、まず自分が持っていくもの、全員に持ってきてほしいものを、Google Docs上に書き並べていきました。他のメンバーは、それを見ながら修正したり、交渉したりしながら埋めていきました。
(2) 去年のメンバーに聞く: 直前に昨年ザンビアに行ったメンバーに「どんなガイドブックが良いか」など、色々と聞き込みました。しかし、時期的には卒業式直後で皆旅行等でいなかったため、これは早めにやったほうが良かったです。

下記に、今Google Docsに残っていたものを、そのまま、担当のみ日本語にして、書き並べてみます。
1 Print VISA and bring VISA fees 全員
2 Voice Recorder メンバー1
3 4 copies of passports 全員
4 Kids Wipes 全員
5 Deet min 35% - Ultrathon 全員
6 Iodine/Chlorine Water Purification Pills メンバー2
7 Electrolyte powder - anti-diorrheal mix メンバー2
8 Print Insurance Info 全員
9 Vaccination Card 全員
10 Camera and charger 全員
11 Power converter pin 全員、メンバー3は12VDCも
12 LED Light メンバー1とメンバー3
13 Business cards 全員
14 Ibuprofen 全員
15 Tylenol 全員
16 Imodium - diarreah 全員
17 Pepto Bismol 全員
18 Take malaria pill in London Airport 全員
19 Back-up your laptops 全員
20 Ipod 全員
21 Buy a big map of Zambia when in Lusaka 全員
22 Swiss knife メンバー1
23 Print papers メンバ―3
24 Cash US$ 600 -> 300 for USD, 300 for Zambian currency 全員

やはり薬系が多いのですが、Deet min 35%(虫よけスプレー)とかLED Lightとかは、普通の薬局では売っておらず、キャンプ/アウトドア用品の専門店で買うことになります。が、最初どこに行けばよいのか全く分からず。日本なら東急ハンズにでも行けば手に入るのですが、そんな便利なものアメリカにはない。とりあえずYelpやYellow Pageで調べるのですが、実際車で行ってみると寝袋とテントだけの専門店だったりとかで、全然ヒットしない。やっとのことで見つけた、何でもそろう店は、バークレー周辺では下記でした。

REI
1338 San Pablo Ave., Berkeley, CA, United States

こうして、チームで何を持ってくるか、というところは共有したのですが、みんな家族がいるメンバーでしたので、奥様がそれぞれ気を使って個人装備としてさらにいろいろ持たせていました。例えば、中国人のメンバーは、カップラーメンと缶詰、漢方薬、蚊取りマットを持ってきていたし、インド人のメンバーは子供と毎日SkypeするためにWebカメラ、パキスタン人は、イスラム教徒向けの装備や食べ物と、トランプなどのゲーム類を持っていました。私が妻と相談して持って行ったものと、その顛末は、下記です。

- 蚊取り線香: 妻の母に日本から取り寄せてもらいました。(日本でも今時手に入りにくかったとか)。これ、結構効果もあり、特に夜に電気が使えない所では、とても重宝し、チームメンバーにとても喜ばれました。
- 蚊帳: 上記のREIで一番安いネットを$20で購入。実際にはホテルやロッジに備え付けのところも多く、また都市部では無くても問題ありませんでした。が、あっても良いかもです
- 非常食: 缶詰とキットカットなどを持っていきました。予想外にザンビアの食事はどこも美味だったので、あまり使う機会もなく。しかし、サファリに行ったとき、「食料は全て捨てておくこと:野生動物があなたのテントを襲いに来ます」、との注意書きがあったため、その日のうちに全部食べ切ることになりました。
- 水: 2lのペットボトルを2つほど。飛行機に長時間乗りましたが、割れずに済みました。2日目に水は買い込んだため、初日には重宝しました。

このほか、ザンビア向けの電源プラグ変換機は、日本でもアメリカでも買えなかったので、途中ロンドンの空港で買いました。Fujifilm製が大々的に売っていて、びっくりしました。

1つだけ、持っていかなかったもので後悔しているのが、一眼レフカメラ。アフリカのサファリになんて持って行ってぶっ壊れたらやだなあ、と思い、今回は安物のコンパクトデジカメを持って行ったのですが、よく考えてカメラがそんなに簡単に壊れるわけもなく、一生に一度の美しい景色がたくさん見られたこともあり、絶対に一眼レフにしておくべきでした。

お土産について

ザンビアで土産を買うとすると、(1)ビクトリアの滝があるリビングストーンやサファリなどの観光地の土産物屋、(2)ショッピングモール、(3)空港、の3つくらいです。おすすめは、(1)と(2)なのですが、その理由は、(3)の空港だと、あまり店がそろっていないこと、高いこと、および、荷物に入れるタイミングがなく途中経由地の空港でめんどくさいことがおこることです。具体的には、下記4つの写真が、ザンビアの首都ルサカにあるルサカ空港の土産物屋の様子です。
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ここで、私は、試飲して気に入った"AFRIKOKO"という、ザンビア産のココナッツミルクのお酒(カルーア・ミルクの原液に近い)を買って、下記のように手荷物に入れていました。一応、売店のおばちゃんには、「こんなものを手荷物で持って大丈夫か」と聞いたら、「全然大丈夫だよ」、と言っていた。これはもちろん愚問で、大丈夫でないものを売るわけはないし、仮に世界のどこかでだめでも、そんな情報このおばちゃんには伝わるわけがない。まあ何かあったらその場で捨てればいいか、と思い、下記のように鞄に入れて乗り込みます。
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南アフリカの空港では、全然検問にも引っかからず、素通りできました。ところが予想通り、ロンドンのヒースロー空港では、「手荷物で液体を持ち込み禁止」と言われ、引っかかってしまう。そこで、「お前のパスポートは、日本のものだから、ビザなしで空港に出れる。だから、一度外に出て、この瓶を荷物として追加で預けて、また入れば大丈夫」と言われました。この時も、日本人で良かったと思う瞬間でした。

VirginからUnitedの乗継でもあり、乗継時間が3時間しかなかったので、大丈夫かとも思いつつ、とりあえずやるだけやってみる。上記のバッグに靴下とかありったけのクッションになりそうなものを入れ込み、お酒の瓶をガードする。元から入っていたPCなどは、クレジットカードが使える売店をやっとのことで探し出し、水と雑誌を買って、もらったビニール袋の中に移し替える。こうして一度空港の外に出て、Unitedのチェックインカウンターで何事もなかったように「この荷物もお願いします」と頼んだら、大丈夫でした。最後、サンフランシスコの空港におりついた時、割れてない状態でAFRIKOKOが届いていたときには、感動しました。この税関も、問題なく通過できました。

他にお土産として持って帰ってきたものの写真です。
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図の左上は、子供向けの身長計で、キリンをはじめ動物の絵が描かれています。左下のCDの隣には、子供向けの絵本。ザンビアにいるときに友人に赤ちゃんが生まれたと知り、お土産にしました。中央下段はザンビア特産のコーヒー。インタビュー中にもらったものです。右上はクライアントさんが手作りして売ってた商品を買ったもの。右下の各種置物はビクトリアの滝でさんざん交渉していっぱいおまけしてもらったものです。

特にお気に入りは、下記です。
- 2枚のCD。リズム感が良く、ザンビアを思い出すことはもちろん、普通に聴いても良いです。
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- 栓抜き。木にボルトを刺しただけですが、ビールくらいは開けられます。
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- ゾウのフンから作った紙による、サファリの動物図鑑
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これにて、ザンビア編は完結となります。書き終えた印象としてはまず、当たり前ですが、「MBA学生と社会人とでは、時間の進み方がその方向を含めて全然違う」、と改めて実感しています。まだIBDに関して書ききれていなかった分の連載を「IBD体験記(8) プロジェクト(1)ザンビアの有機綿花産業」から始めようと決めたのが、2010年6月下旬。したがって、既にネタがある記事を高々9つ書くために、5か月以上の時間がかかったことになります。MBA中も色々と忙しかったとはいえ、ネタを考えながら月平均7-8本書いていたことを考えれば、社会人になって執筆活動の時間的余裕が、5分の1以下に減ったことになります。

また、そもそもザンビアプロジェクト後にすぐ書けなかった理由が、直後にインターンが始まって仕事で余裕がなかったこと。さらに、その後2年生になると新しく書きたいことが毎日のように降ってきたからでもあります。一方、社会人に戻ると、毎日面白い事象が自分に降りかかってくるという意味ではMBA時代と変わらないのですが、その内容は仮に公にできたとしてもしたくない類のものがほとんどです。もう記憶からやや薄れかかっているこのザンビアの状況を、写真を見ながら思い出すたびに、MBAの「非日常」な2年間で、仕事をしている間には絶対に得られなかった思考回路や感情の、引き出しの数と奥行きを得ていたのだ、と改めて思うのです。

ブログ全体としては、あと2つアップすることで、完結となります。できれば2010年内に完結できるように、頑張ってみます。
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# by golden_bear | 2010-12-05 01:37 | IBD(ザンビアプロジェクト)

ザンビア人の生活とカルチャーショック - IBD体験記(15)

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前回載せ忘れた、ザンビアと日本との関係を表す看板の写真を1枚入れさせていただきました。今回は、ザンビアの人の生活状況について、現場で初めて見たことや驚いたことを中心に、社会インフラ(スペック/運用)、生活、教育、文化の順で、箇条書きの形で書き並べて見ました。基本情報として、人口1,300万人弱、ざっくりそのうち8割強が農民、1割強が銅、ニッケル、コバルトといった鉱物資源関係の労働者、残りを公務員や携帯電話含むインフラ、首都や観光地のサービス業といった業種で占めている国です。このうち、鉱物資源関係以外の人々を除いて、30本近いインタビューと3週間の日々の生活の中で、私が見聞きした内容と印象を、記憶を元に書いたものです。細かい点に関しては事実とは異なる可能性もあることを予めご了承ください。

社会インフラ(スペック面)
長いこと植民地だったこともあり、政府や行政が全てイギリス式そのままだそうなので、社会インフラは全てイギリスそのもの、と思っておけば間違いなさそうです(インド・ケニア・南アといった元イギリス植民地に準拠しているものも含む)。都市部では、電気では電源プラグの形は電圧やロンドンと全く変わらないし、車道も右ハンドル左側通行。実際に、都市部の中級ホテルに泊まる分には、食事の質含めてイギリスの中級ホテルの生活と大差なかった気がします。

ちょっと違うのが、電話網。アフリカでは固定電話ではなく携帯の方が普及している、と行く前からよく耳にしていたのですが、実際にその通りでした。固定網は貧弱で、中級ロッジでは、固定電話がそもそも受付以外に無かったり、そこから電話しても国際電話はおろか市外通話も出来ないくらい。一方、携帯電話は車が通る主要道路沿いでありさえすれば、基本的に田舎だろうがどこでも通じる。なお、携帯キャリアとしてはZainというインドの大手Bharti Airtels傘下で中東とアフリカで広くビジネスを展開している所が、ほぼ独占しているようなのですが、都市部では他の業者も2-3見かけました。

インターネットも首都では固定回線ではなくWifiのみが使えるところは、ロッジは勿論、空港やレストランなど結構あります。通信速度も普通のWebページを見る分にはさくさく動いて問題ない。しかし、Skypeが使えなかったり、動画が全く起動しなかったりすることから、スピードは先進国並み(ユーザーに近い部分で使っているルーターなどの機器自体は先進国と変わらない)だが、バックボーンの回線容量が全く追いついていない、という印象です。田舎に行くと金持ちが固定電話のサービスで繋げていたが、ダイアルアップっぽい遅さでした。

銀行はローカルの銀行以外にバークレイズ銀行が入っていて、両替はドルやユーロ、ポンドと現地通貨とでいつでも可能です。利率は、私が見たときには普通預金の利子2%、借りる時は38%と闇金並。話によると、38%でも貸してくれることはほとんどないし、貸したら帰ってくることもほとんどない、のだそうです。

スーパーは、ケニアや南ア資本で富裕層向けには下記のようなものがモールでそろっています。
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こんな感じで、少なくとも冬は気候が良く水も豊富なザンビアでは、表面的には本当にイギリスと大差ない生活が送れます。例えば、ザンビアに駐在しているパキスタン人の友人宅にお邪魔すると、まるで大使館のように厳重な鉄条網と壁の中にて、プールやレクリエーション施設完備の豪華な1戸建てのお屋敷群に住んでいました。
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この、元宗主国の言語はもちろん、インフラや社会システムをそのまま使う、という傾向は、ザンビアだけでなくすべてのアフリカ諸国であるようです。このことからは、最近流行の水ビジネス国際展開において、欧州の元国営のような企業が非常に強い/日本が現状弱い理由の一端を、垣間見ることができます。

社会インフラ(運用面)
一方、イギリス式をそのまま持ち込んで、現地の人に運用させても、100%のサービスの質が発揮されるわけではないことも実感。ガスや水道、風呂、トイレも、私が宿泊した1泊$30程度の中級ロッジでは普通に使えるのですが、
○2日に1度くらい、シャワーの水は出るがお湯が出ない
○3日に1度くらい、夕方頃2-3時間の停電があり、インターネットが使えない(携帯電話が使えないことはあまりなかった)
このようなインフラの質はともかく、働いている人々が上から言われた通りやっているだけで、考えてないような印象があります。例えば、
○政府がかける税金の税率も、全くイギリスと一緒で、例えば所得税に40%: そんなに税金とって何に使うんだろう、という声はよく耳にする
○スーパーの価格表。下記のように、サイズとパッケージと価格に全く一貫性がない
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極めつけは、あるリゾートホテルでのランチ。
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友人が$7のハンバーガー、私が$9のチーズバーガーを頼む。そこから待っても待っても食事が出てこない。待つことなんと90分、、これがハンバーガーだ、と言われて出てきたもの。
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普通にチーズが入ったハンバーガーでおいしそう。私が頼んだチーズバーガーには、さぞやチーズが一杯入っているのか、と想像していて出てきたものを見ると、なんとチーズの量はそのままで、肉が入っていない。すなわち、ハンバーガーから肉だけを取ったものがチーズバーガーで、しかもハンバーガーより$2割高なのです。「そんなわけないだろう、料理か、価格かのどちらかがおかしい」とコックに言っても、「いや、これがチーズバーガーで、この値段だと言われた」、と言われるだけで、埒があかないのであきらめました。

こういうことが起こるたびに、いつもインド人やパキスタン人(ザンビア人同様に英国が元宗主国)のチームメートが、半分笑って半分本気で、「現場のことは、欧米が押し付けずに現場のやり方に任せたほうが一番良い」と、3週間で5-6回は言っていたことが、とても印象に残っています。

生活編
ザンビアでは、国連や外務省のページを見ると、「平均日収が$1に満たない、世界最貧国の1つ」といった表現がなされている。さぞかし貧しい生活なんだろう、と思い、実際都市部のスラムのようなところでは下記の写真のような光景も一杯見られます。
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が、農村部まで行くと、人々の顔は一見皆明るく、全然貧しそうには見えないです。(ちなみに、ちょっと郊外に行くと、道端で何十キロもありそうな道を歩いている人がうじゃうじゃいて、一日の生活の大半が徒歩移動なんだろう。それでいて社会が回ることから、ふつうなかなか定義できない「国の生産性」の低さが目に見えました。)
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そこで、この平均日収$1を、もう一段ブレークダウンしてみます。ざっくり、推定日収$2、$1、$0.5の3種類の農民の生活があるとして、勝手なステレオタイプを私の妄想で描写してみると、この3つの中で相当な貧富の差があります。

○ 平均日収$2: 夫婦ともに働き者。家は土嚢で固められた壁に木かプレハブの屋根がある丈夫な作りで、テレビや携帯電話など大抵のインフラはそろう。子供が全員普通の服を着て学校に通う。水の豊富な土地で手入れされた畑を持っていて、野菜など手がかかるが売値が高い作物を工夫して作っている。

○ 平均日収$1: 旦那はすでに他界したか蒸発したかでいないため、女手一つで8人の子供を育てながら、農作物を育てる。母親は朝4時に起床、深夜12時に眠るまで、育児、炊事選択、農作業に追われ続ける。8人の子供のうち2-3人は学校に通うことができるが、残りは学校に行けず小さいころから農作業を行うのみ。家は藁葺屋根。まじめに働いてテレビを買うことが夢。

○ 平均日収$0.5:  女1人で足をけがしており、満足に歩くことはできない。旦那も子供もいない。裕福な家の軒下に住み、脱穀など座っててもできる農作業をして食いつないでいる。あるいは、このレベルになると、以前書いたSnarewearプロジェクトの前提のように、野生動物を狩って食いつなぐが、その確率は低いので、ますます貧困になる悪循環。

共通しているのは、女性は皆とても勤勉で何についてもテキパキと働いている一方で、男性は全く何もしないこと。ザンビア農村男性の典型的な一日は、朝起きたら酒を飲み、昼にバーに集まり酒を飲み、夜に家に帰って子作りをしてまた酒を飲み、寝る、というものらしい。ちなみに、このとき良く飲まれるお酒は、Mosiというブランドのザンビア産ビールと、Shake Shakeと呼ばれる、地元のMaize(トウモロコシ粉)を発行させて作った体に悪そうなお酒(写真はチームメイトでザンビア人ではない)。
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なんで女性ばかり働き男性は酒を飲むだけなのか、という理由の1つが、一夫多妻制。農村だと、1人の男性が4人くらいの妻を持つのが普通らしく、労働力だからか宗教上の理由だからか病気が多いからなのか、とにかく子供を産むことが奨励される。1人の女性は一生に8人くらい子供を産むことが良い、とされているらしく、子供の数が6人に満たないとダメな女性、という烙印を押されてしまうのだとか。つまり、1人の男性は4人の妻と合計32人の子供を産まなければ一家の長になれず、妻からは常にそのプレッシャーがかかるそうなので、男性は人生の中心を子供づくりに置かざるを得ない社会構造(したがってエイズが蔓延しやすい)かもしれない。一方、そもそも男が余って結婚できなければ、飲んだくれるしかないのかもしれない。また、旦那が奥さんと一緒にいる確率が1/4だとすると、珍しく勤勉な男性がいる家は、とても裕福になるのでしょう。

ちなみに、都市部では都市化が進んでいることもあるのか給料が少ないのか、一夫多妻制とはいえ、「2人以上の妻を持つなんてマネージするのが大変だ」という男のほうが多いらしいです。

教育編
上でも学校に行けない子供の話を書きましたが、ザンビアで一番問題とされることが多いのが、この教育。まず、大学が国全体で3つしかなく、うち鉱山の近くにある工科大を除いた2つの総合大学では、多くの人が弁護士と医者、官僚を目指す。この3つの職種すら人が足りておらず、こんな状況で自国の産業を自国で育てることなどままならないのだそうです。また、初等教育では、服と教科書を買うお金を出せずに、子供を小学校に入れることができない家庭が大きな比率を占めるのだそうです。

したがって、実質的な教育あるいは仕事に就くために必要なスキルの訓練は、外資系企業が社内でトレーニングを行うか、国連やNGO/NPOや教会などがプロジェクトで鍛えるなど、外国人が実現している状況。しかし、この取り組みの恩恵にあずかれる機会はわずかな上、全体の教育レベルが低いと、いくらその時外国人が教育しても、居なくなったら終わり、という形で継続しないのだそうです。

文化編
今までの話を無理やり一言でつなげると、「インフラは整っているけれども、運用する人の価値観や考え方は欧米人と違い、その内側には格差もあり、教育が整っていないこともあり抜け出すきっかけがつかめない」、となります。当たらずとも遠からずですが、本質的にはそうでもない気がする。というわけで、最後に、ザンビア人が何を将来や希望に見ているか、文化、というくくりで話してみます。

教育は無くても、テレビがある程度普及していて、皆アフリカ&中東版のBBCを見れる/口伝えに聞く環境は、国全体でそろっているのだそうです。したがって、欧州とアフリカ、米国と中東の間で何が起きているか、については、自動車の運転手程度の人でも相当詳しく知っていました。

こういう情報がそろっていると、国全体でまずは南アフリカみたいになりたい、と思うのだそうです。南アフリカ人はとても裕福で、ファッションや音楽・ダンスは皆南アフリカの流行を真似するし、メジャーデビュー=南アフリカを目指すことだそうです。ちなみに、CD屋に行くと、日本であれば「ワールド・ミュージック」の棚に置かれてあるような黒人アーティストがずらり。うち、7-8割くらいが南アフリカのアーティストで、次にザンビア人、たまにケニア人やジンバブエ人などが混ざるそうです。あと、ボブ・マーリーはここでも別格で神様のような扱いになっていて、2日に1度くらいは彼の曲をどこかで聞いていた気がします。
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一方で、南アフリカは非常に問題がある国だ、とも思っているようです。「ジンバブエもそうだが、黒人が政権を取ってから国の治安が全く守られなくなり、貧富の差が広がり、ひどい状況だ。ああはなってはいけない」、ということは明確に認識し、反面教師にもしているそうです。したがって、黒人が白人より上に立つ、のではなく、何とか白人と調和してうまいシステムで平和に国が運営できると良い、というのが、国民の基本的な考え方なのだそうです。この点に関しては、今のところうまく回しているように見えました。

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こうして、そもそも聞いたことも見たこともない状況、またその大変な状況を抱える中でも前向きに素晴らしい環境を模索する人々を見ると、自分は何が好きか/嫌いか、長期的に何を求めて生きていくべきか、という価値観の根本が大きく変わった気がしています。また、農民のほとんどが1日に数十キロも徒歩で移動しているような状況の国に比べても、日本の成長率は長期にわたって全然低い。いったい日本は何をやっているのだろうか、私は一日本人として何ができるのか、と強く考えるきっかけにもなった、このザンビアの生活体験でした。
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# by golden_bear | 2010-11-23 18:04 | IBD(ザンビアプロジェクト)


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